「麻生炭鉱で一日12時間の切羽労働…死ぬほどむち打ちも」

「麻生炭鉱で一日12時間の切羽労働…死ぬほどむち打ちも」

2015年05月11日09時17分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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コン・ジェスさん(92)
  「石炭の粉が舞う切羽(坑内の現場)で一日12時間以上働いた。一息つこうとすると間違いなく棒が飛んできた。逃げて捕まって死ぬほどむち打ちにもあった」

  9日午後2時、光州市華亭洞(クァンジュシ・ファジョンドン)の青少年文化の家。白髪になったコン・ジェスさん(92)が、日帝強制占領期間に福岡県の麻生炭鉱に強制的に連れて行かれた経験談を打ち明けた。日本が強制徴用施設をユネスコ世界文化遺産に登録しようとすることに反対して市民団体「勤労挺身隊のおばあさんと共にする市民の会」が作った行事でのことだった。

  コンさんは時折、空を見つめたりもしながら話を続けた。「鞭打ちも直接せず朝鮮人に仲間を殴らせた。それと一緒に『朝鮮人はいつも嘘ばかり言う』と言われたが、今日本がしていることが嘘や偽善でなければ何だ。日本の姿勢があまりにもあきれてこのまま死んではいけないと思い、最後になるかもしれない証言をするのだ」。

  コンさんは「ご飯などどこにあったものか。苛酷な労働をさせながら一日二食の豆かすもまともに与えられなかった」としながら手の甲で涙をふいた。彼は「韓国が、日本の恐れる丈夫な国になるよう若者たちが団結してほしい」と頼んだ。コンさんは22歳だった1943年、麻生炭鉱に連れて行かれて2年余り働かされ、光復(解放)後に故郷の京畿道楊坪(キョンギド・ヤンピョン)に戻った。彼は強制労働当時、腸チフスにかかったことも伝えた。「43年春だった。誰もが伝染病にかかって…。病院に約200人が行ったが一日寝て夕方起きると20~30人ずつ亡くなっていた。病院に行った人々の中で生きて出てきた人は数人にもならなかった」。彼が連れていかれた麻生炭鉱は、日本の副総理兼財務相の曽祖父である麻生太吉が作った。麻生炭鉱には当時朝鮮人7996人が連行されて行き56人が亡くなった。7996人は日本の単一企業に強制労働に行った中では最大規模だ。

  この日の行事では、日本がユネスコ世界遺産登録を推進する長崎県の三菱造船所で強制労働をしたキム・ハンスさん(97)も証言しようとしたが前日に交通事故にあって参加できなかった。コンさんがいた麻生炭鉱は、日本が推進するユネスコ世界文化遺産の対象には入っていない。

  「勤労挺身隊おばあさんと共にする市民の会」は16日、同じ場所でパク・サヨンさん(92)を招いて証言を聞く。パクさんは長崎県の佐世保炭鉱で強制労働をした。31日には強制労働・原爆被害者遺族らが証言者として出てくる。市民の会は来月3~7日、長崎一帯の強制労働現場を視察する。
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