【コラム】スマートフォンのない韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.07 16:01
スマートフォンが未来社会に及ぼす役割に対する分析はさまざまだ。多くの専門家がスマートフォンが我々の人生をより便利にし、無限の情報に接することを可能にするという。我々が必要とするものごとにうまく対応できるようにし、人生をより過ごしやすくするということだ。スマートフォンは民主主義の拡張にも寄与する。2010年アラブ圏で起きた「ジャスミン革命」はスマートフォンが大衆にプレゼントした「情報の民主化」が触発したとみることができる。最近、韓国で起きた「ろうそく革命」も同じような流れの一つだ。
しかし核心は「情報の量」ではなく「情報の質」だ。スマートフォンを通じて拡散する情報が質的に果たして優れていると考えることはできるか。現在、韓国の既成世代はスマートフォンがなくてもかつて大学内で民主主義の花を咲かせた青年たちだ。彼らはもしかしたらスマートフォンが与える情報を批判的に使える最後の世代になるかもしれない。政府の無能を明らかにする「スマートろうそく」は未来には期待できないかもしれない。
雑誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』の編集長だったニコラス・カーの著書『ネット・バカ』は、インターネットとスマートフォンが我々の脳を再プログラミングして神経系の素早い反応を煽るが、思索と深い思考を難しくさせるパターンに脳が慣れるようにするという科学的証拠を提示している。『ネット・バカ』は社会の差し迫った危機を把握したり解決策を提示したりすることはできない市民だ。彼らが主流になって社会を動かすことになれば、韓国はますます悪夢の世界に陥ることになるだろう。我々は果汁があふれる花から花へと飛び回る蝶のように、一つの刺激的な話から次の話に流れる日常を生きている。