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【時視各角】「映画『鳴梁』は歴史歪曲だ」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.10 08:33
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「子孫が出世すれば先祖を筆で育てる」という昔の言葉がある。このように韓国では先祖の地位が子孫の現在の地位と無関係でない。朝鮮が開国して「龍飛御天歌(朝鮮の建国を称える歌)」を書いたように、各家門ごとに先祖の業績を称えて崇拝する「門中史学」がある。このような門中の人物は一様に欠陥がなく、歴史的な過ちは政敵の謀略のためとすることも多い。それで小説・映画のような虚構の創作物だけでなく、歴史学者の人物解釈も門中の気分を害すれば問題に巻き込まれやすい。

頻発する先祖関連訴訟で、裁判所では「死者名誉毀損は遺族だけがその救済手続きを踏むことができ、子孫は特別な措置を取ることができない」という趣旨の判決を相次いで出しても、門中の訴訟は絶えない。実際こうした訴訟はそれ自体が作家には圧力となり、創作意志を失わせたりもする。私も法曹界を担当した当時、こうした紛争がどれほど執拗かを目撃し、自国の歴史小説は書かないと決心したほどだ。それで歴史小説は中国に素材を探す。

 
我々には多くの歴史的な人物がいるが、残念ながら思い出す人物は少ない。先祖の歴史が重要なのは、彼らの功績・失敗・過ちを評価して論争する過程で、歴史が繰り返される現実を生きていく知恵と教訓を得るためだ。しかし失敗や過ちがない、美化されて粉飾された門中の先祖がそのような生きた教訓を与えることができるだろうか。

映画の中のペ楔は事実と違う。しかしそれは映画だ。これを通じて我々はペ楔という人物を知った。記録によると、ペ楔は1599年に先祖の墓で権慄(クォン・ユル)に捕まりソウルで斬刑されたが、その後、武功が認められ、宣武原従功臣1等に記録された。李舜臣将軍が『鳴梁』で戦った船12隻は、彼が漆川海戰で保存した船だ。人のことはこのように意図しないことが絡んでいる。したがって一人の人生を単に功績と功過善悪で評価することはできない。ある人物を総体的に探索して評価する作業を通じて、我々の精神的資産はよりいっそう豊かになる。我々の先祖を門中の人物として過保護するのではなく、公共の資産として解く時になったのではないだろうか。

ヤン・ソンヒ論説委員


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