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「慰安婦被害者の象徴」金福童さん死去…生存者23人に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.29 08:19
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「死ぬ前に日本の安倍首相の真心込もった謝罪を受けたい」

日本軍慰安婦被害女性の金福童(キム・ボクドン)さんが1年余りのがん闘病生活の末、28日に亡くなった。享年93歳。「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(以下、正義記憶連帯)はこの日、「金福童おばあさんがこの日午後10時41分に亡くなった」としながら「金おばあさんの焼香所は延世(ヨンセ)大学セブランス病院葬儀場に設けられる。弔問は1月29日午前11時から可能だ。2月1日に出棺を予定している」と伝えた。

1926年慶尚南道梁山(キョンサンナムド・ヤンサン)で生まれた金福童さんは15歳だった1940年に日本軍にだまされて慰安婦として連れて行かれた。その後、中国、香港、マレーシアなどに連れて行かれ、8年ぶりの1947年に故郷に戻った。

 
金福童さんは1992年に慰安婦被害の事実を公開して女性人権運動の道を歩き始めた。1992年8月第1回日本軍慰安婦問題解決のためのアジア連帯会議で慰安婦被害証言を始め、1993年にはオーストリア・ウィーンで開かれた世界人権大会に参加して全世界に日本軍慰安婦被害の事実を知らせた。

その後、本人の名前を冠した「金福童の希望」奨学財団を作って紛争地域の児童や戦争中の性暴力被害女性を助ける人権運動を継続した。また、2012年3月8日の国際女性デーを迎えては日本軍慰安婦被害者センターで一緒に過ごした吉元玉(キル・ウォンオク)さんと一緒に「蝶(ナビ)基金」を立ち上げた。当時、金福童さんは記者会見で「日本軍慰安婦被害者として日本大使館前に立って私たちに名誉と人権を回復させるための戦いを継続しているが、いま世界各地で私たちのように戦時性暴力被害を受けている女性たちがどれほど苦痛なのか、私はとてもよく知っている」と述べながら、女性たちを助けたいとの意志を示した。その後、国連人権理事会、米国、英国、ドイツ、ノルウェー、日本などを何度も訪問して「戦時性暴力被害者が生まれない世の中のための活動」などの海外キャンペーンを進めた。

2015年以降は韓日慰安婦問題合意を糾弾し、和解・癒やし財団解散と日本政府の公式謝罪を求めた。地道に寄付活動を続けてきた金福童さんは、2015年から2017年まで戦争武力紛争地域の子供たちや女性人権賞金、浦項(ポハン)地震被害者などに各1000万ウォン(約97万円)から5000万ウォンを寄付した。がん闘病中だった昨年も、私財5000万ウォンを在日朝鮮学校に奨学金として寄付していた。今年1月には「正しい義人賞」の賞金500万ウォンを在日朝鮮学校に後援した。正義記憶連帯は「金福童さんは数多くの慰安婦被害者の象徴だった」としながら「日本の真の謝罪とちゃんとした賠償を要求してきた人権平和活動家だった」と説明した。

「死ぬ前に日本の安倍首相の真心込もった謝罪を受けたい」と話してきた金福童さんは昨年9月のがん闘病中も、ソウル鍾路区(チョンノグ)外交通商部庁舎前で『和解・癒やし財団の即刻解散』を叫んで1人デモを行った。その後、昨年11月に政府が和解・癒やし財団を解散することに公式発表すると、「今からでも被害者の願いを聞き入れてくれてよかった」と明らかにした。当時、金福童さんは病床に横になりながらも「(財団の解散までに)とても長い時間がかかった。和解・癒やし財団がガラガラと崩れてこそ安心するが、明日明後日と先送りされるかと思うと心配になる」と懸念を示し「残るは日本政府が謝罪して賠償することだ。安倍は謝罪して賠償せよ」ともう一度叫んだ。

金福童さんの死去で慰安婦被害者の生存者は23人に減った。これに先立ち、この日午前には慰安婦被害女性のイさんが亡くなった。イさんは本人と遺族の意向によって葬儀を非公開で執り行う。

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