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勤労挺身隊被害者「学校に行かせてあげると騙されて働かされ…日本は気味が悪い」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.30 09:26
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「(とても遅れたが)大法院(勝訴)の判決が下されて幸いだ」

三菱重工業に対して損害賠償請求訴訟を起こし、29日に大法院(最高裁)の確定判決を受けた勤労挺身隊被害者の一人であるヤン・クムドクさん(87)の受話器越しの声は淡々としていた。当然の裁判結果という思いからだ。

ヤンさんはそれほどまでに待っていたこの日の裁判に直接参加できなかった。光州(クァンジュ)に住んでいるヤンさんは、老患によって健康状態が優れず大法院に行くことができなかった。代わりに入院先の病院のテレビで損害賠償請求訴訟の裁判結果を聞いた。

 
大法院から宣告が下された直後、中央日報記者との電話中、静かだったヤンさんの声は「日本」という単語が出てくると変わった。ヤンさんは「日本政府と三菱重工業に言いたいこと」について聞かれると、「日本はもう気味が悪い。良心を良い方向に使ってこそ国に良いことが起こるものだ」と話し、きちんとした謝罪と損害賠償を求めた。

ヤンさんをはじめ勤労挺身隊被害者の人生は涙そのものだった。ヤンさんは満13歳だった1944年に日本に行った。当時小学校6年生だったヤンさんは「日本に行けば勉強もさせてあげるし、上の学校にも行かせてあげる」という日本人校長と教師の言葉に騙されて、三菱重工業名古屋航空機製作所に動員された。

日本での生きた地獄だった。年若い女学生たちはシンナーとアルコールで飛行機部品のサビ取りの作業に投入された。飛行機外部にペイントする作業もしなければならなかった。当時のペンキの毒で現在も目が不自由だ。

ヤンさんは下級審当時、自ら出廷して恨(ハン)極まる声で当時の生活やその後何の補償も受け取ることができなかった現実を訴えた。ヤンさんは「味噌汁と梅干し、たくあん数枚を食べて働いた」とし「作業中に地震が起きて危うく死にかけたこともある」と語った。ヤンさんは1審が行われた2013年、杖や車椅子を使って出廷し、涙を流した。何十年も前のことだったが、日本に連れて行かれた状況と自身を騙した日本人校長の名前も忘れないでいた。

ヤンさんと一緒に訴訟に参加してきた原告の一人、パク・ヘオクさん(88)やキム・ソンジュさん(89)、イ・ドンリョンさん(88)らの人生もヤンさんと似たようなものだった。今回の訴訟を支援してきた光州広域市の地域市民社会団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共にする市民の会」によると、日本政府は太平洋戦争末期だった1944年5月ごろ、光州(クァンジュ)・全南(チョンナム)、大田(テジョン)・忠清(チュンチョン)地域から10代の少女約300人を名古屋航空機製作所に連れていった。

故国に戻った後も被害者の人生は順調ではなかった。「日本軍慰安婦」として誤解を受けたためだ。この問題で夫と不和になったりもした。強制動員被害を受けた被害者は、本人はもちろん親や兄弟・姉妹まで誤解で被害を受けると、故郷の地でも一生息を殺して暮らしていかなくてはならなかった。

高齢になった被害者は日本での苦痛と老患で健康状態が良くない。ヤンさんら大多数の原告が「73年待った」にもかかわらず、この日大法院に行けなかった理由だ。パクさんは療養病院で闘病中で、イさんは病気だ。44年12月に起きた昭和東南海地震の時に足首をケガしたキムさんは歩行が不自由だ。また別の当事者である故キム・スンレさんは当時地震で命を落とし、故キム・ボクレさんは2001年に亡くなった。キム・スンレさんの兄さんでありキム・ボクレさんの夫であるキム・ジュンゴンさん(94)が原告とし今回の訴訟に参加した。

三菱勤労挺身隊事件は日本軍慰安婦被害問題とともに代表的な日帝強占期の女性人権侵害事例に挙げられている。三菱側は損害賠償責任を認めていないが、高齢を迎えた被害者はいつ終わるか分からない「約束のない訴訟」を繰り広げていたが、この日大法院の確定判決を勝ち取った。

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    2018.11.30 09:26
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    三菱重工業の名古屋航空機製作所に向かう勤労挺身隊被害の少女。(写真提供=「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」)
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