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MB-ブッシュ首脳会談の舞台キャンプ・デービッド

2008.04.15 12:14
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李明博(イ・ミョンバク)大統領の米国訪問日程のハイライトは19日(現地時間)、米大統領別荘のキャンプ・デービッドで行われる首脳会談だ。韓国の大統領がキャンプ・デービッドで米大統領に会うのは初めてだ。

ブッシュ大統領がキャンプ・デービッドに李大統領を招待したのは親近感の表れだ。ワシントン外交消息筋は「ブッシュ大統領が韓米同盟を強化するという意図のほかに、李大統領と個人的に親密な関係を築きたいという意味が含まれている」と分析した。ブッシュ大統領と最も親しかった外国首脳の小泉純一郎元日本首相が2001年6月、首相職に就いた後、初めて訪米したときもブッシュ大統領は会談場所をキャンプ・デービッドに指定した。昨年8月フランスのニコラ・サルコジ大統領との初会談もこの場所だった。

キャンプ・デービッドはワシントンから北西に97キロ離れたメリーランド州フレデリックカーウンティーのキャトクティン山岳公園の中にある。木々が生い茂る森林に囲まれた、海抜550メートル地点にある。面積は約50万平方メートルだ。海軍が管理し海兵隊が警備する。来賓用の建物にはドッグウッド(Dogwood)、メープル(Maple)、ホーリー(Holly)、バーチ(Birch)、ローズバッド(Rosebud)などの名前がついている。李大統領夫妻はこの中の1つで一夜を過ごす予定だ。キャンプ・デービッドには鱒が住む蓮池と散策路、屋外プール、ゴルフ練習場とパッティンググリーン、テニスコート、ボウリング場、体育館などがある。

キャンプ・デービッドは1938年、連邦公務員の家族の休養施設としてオープンした。そして42年フランクリン・ルーズベルト大統領が使用用途を大統領別荘として変えた。自身の安全と健康のためだった。

当時ルーズベルト大統領は蒸し暑いワシントンの夏が苦手だった。エアコンの風を特に嫌っていたルーズベルト大統領は時間さえあれば、ニューヨークのハイドパークへ行きヨットに乗るのを楽しんでいだ。戦時(第2次世界大戦)中に大統領が大西洋方面へ頻繁に外出するのを参謀らは心配した。ドイツがU2潜水艦を派遣し、ルーズべルトの命を狙っているかもしれなかったからだ。そのため安全な場所がどこか物色した。医師は「健康のためには山が良い」と薦めた。ルーズベルトは何カ所かを見て回り、ワシントンより緯度が高く、夏の温度はワシントンより摂氏5.5度ほど低いこの場所を選んだ。そしてとても満足した。それで付けられた名前が想像の理想郷という意味の「シャングリラ」。英国作家ジェームス・ヒルトンが書いた小説『失われた地平線』に出てくる地名を借用したのだ。

「シャングリラ」は53年の初めからキャンプ・デービッドと呼ばれるようになった。ドワイト・アイゼンハワー大統領は就任するやいなや、別荘名称を最愛の孫の名前(デービッド)変えたのである。この別荘を最も愛用した大統領はロナルド・レーガンだった。彼は週末にしばしばにこの別荘を訪ね乗馬と木工細工を楽しんだ。大統領夫人のナンシーさんは別荘の内部を飾り、庭の手入れをした。

キャンプ・デービッドを初めて訪れた外国の首脳はウィンストン・チャーチル元英国首相だ。ルーズベルト大統領は43年5月、ここでチャーチル首相と会談し、第2次世界大戦に勝利するための戦略を議論した。歴史的なノルマンディ上陸作戦構想の概要もここで決まった。

78年イスラエルとエジプトの平和協定もここで締結された。当時、ジミー・カーター大統領はイスラエルのメナヘム・ベギン首相とエジプトのアンワル・サダト大統領をこの別荘に招待し、両国間の敵対関係を終息するように仲裁した。

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