【コラム】文在寅政府の内部者たち(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.28 14:54
手続き的正義も、分配的正義も、矯正的正義も正しく行われていると保証することができるだろうか。李明博(イ・ミョンバク)政府時代、民間人不法査察に対してはそれほど声を高めていた人々が今回はどじょうとDNAを動員して密かに抜け出ている。「民間人査察は大統領弾劾の対象」といった叫びがまだ耳元に聞こえているようだ。現政権初期の民情首席室の席を再配置しながらキャビネットから積弊を象徴する文書が発見されたとして報道官が生放送まで自任して公開したこととキム・テウ事件は何が違うのだろうか。
不法と合法の違いは権力実力者と級の低い公務員との間隔なのか。裁判終盤に文書を吐き出す行為こそ裁判介入で、政治の司法化だろう。だが、事件を握りしめた検察は結果についてこれといった説明を出していない。「熟慮中」という答えしかない。「刑事告発されて黙秘権があり国会に出席できない」という青瓦台民情首席のもっともらしい法の論理にうなずく市民がどれほどいるだろうか。彼らが真実を望むのか、正義を望むのか正確に分からない。ひょっとして自分たちが考えていることを真実に装い、これを通じて正義を語ろうとするのではないか懸念される。青瓦台と検察が政局を揺るがしながら司法府も振り回されているのは同じだ。内部の世論を汲み取るとして高裁部長判事を呼んだ席で批判的発言が出てくると「これから裁判所内部の話はやめよう」という首長の対応はどう見るべきだろうか。「(裁判所が世論に振り回されれば)悪い大法院長と言われる」という後輩判事の忠言も受け入れなければ巨大司法府を指揮し難い。だから「君は誰の味方か」という過去の発言が今さら注目されているのではないだろうか。正義の女神が警戒したのは権力と偏見だったのに。