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【コラム】文在寅政府の内部者たち(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.28 14:54
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「私の幸せが皆の幸せになることを望む」という文在寅(ムン・ジェイン)大統領のクリスマスメッセージが野党とメディアから冷やかな反応を得ると、青瓦台(チョンワデ、大統領府)はさびしいそぶりを隠すことができなかった。大統領の美徳のお話さえ美徳のお話として受け止められない吝嗇(りんしょく)な姿を考えただろう。だが、昨今の世の中の人心は寂しいこと極まりない。一年を送って新年を迎えるときめきよりは心配が先んじるのが庶民の暮らしだ。作家のユ・シミン氏が雰囲気を変えようとして口にした発言が「20代男性への侮辱」に拡大再生産されているのも「執権層が現実をあまりにも知らなさすぎる」というさびしさと失望から始まった側面が大きい。笑いを誘うために話したことに死をかけて飛びかかるのではなく、雰囲気を読まずくだらない話をした代価ではないだろうか。「政府は国民にただ一度でも幸せな夢を見させたことがあるか」という一年前の市民の訴えはおそらく来年このごろにも聞こえるだろという悲しい予感もする。最低賃金の引き上げと所得主導成長政策にともなう経済難と各種政治的・社会的危機に対処しているこの政府の要人の言動が「ユントクトク(自身一人だけが優れて賢いふりをする人)」を連想させる。賢そうに見えて実はそうでない人を見る国民の忍耐力もそれだけ水準を高めているのだ。

まず、キム・テウ検察捜査官事件から始まった民間人不法査察と現政府要人の不正疑惑に対する青瓦台要人の反応と対応は「やはり人々は変わるようだ!」という自嘲を吐き出させる。権力の力に酔ったのか、それとも法典と教科書の活字を真実に導く魔力として感じたのか。現実感のない青瓦台参謀陣の吐説のような言語の遊戯は文在寅政府がそのように夢見てきた正しい社会も結局、迷夢(心の迷い)に過ぎなかったという根本的な懐疑を抱かせる。「ろうそくの精神を実現して国のすべての制度を正義の原則に則って再建する」という確約はどこに行ったのか。国民が主人である政府とともに生きる経済? 私の人生の責任を負う国家? 権威主義と疎通不在の象徴だった朴槿恵(パク・クネ)政府から抜け出して新しい社会を迎えられるという希望が拷問に過ぎなかったことに気づくのに一年半で十分だったのがわれわれの痛みだ。
【コラム】文在寅政府の内部者たち(2)

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