【コラム】盧武鉉をいい加減に学んだ悲劇=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.27 10:44
26日、南北鉄道・道路起工式が行われた。北朝鮮の開城(ケソン)板門(パンムン)駅でだ。北朝鮮鉄道はめちゃくちゃだ。実状は日帝強占期より後退した。日帝時、京義(キョンウィ)線は時速65キロの複線だった。今の平壌(ピョンヤン)~開城(ケソン)は時速20キロの単線だ。李善権(イ・ソングォン)祖平統委員長の北朝鮮代表団はその恥ずかしさを隠す。
北朝鮮鉄道は復活しなければならない。その念願の条件は明快だ。旅行の自由と開放だ。これを使って経済性を確保する。その前提のない鉄道は独裁者の装飾物だ。「東アジア鉄道共同体」も幻想だ。税金のバラマキによって堕落する。だが、北朝鮮社会は監視・統制だ。今、長官たちは北側に忠告ができない。盧武鉉ならどうしただろうか。迂迴的でもこう話しただろう。「住民の旅行がしやすくなってこそ鉄道が繁栄をもたらすだろう」。
その素晴らしい瞬間は続く。仁荷(インハ)大学名誉教授のキム・デファン氏は最近、このように公開した〔NEAR(ニア) 財団フォーラム〕。彼は盧武鉉時代の労働長官だ。2004年弾劾政局の時だ。盧大統領はちっ居した。キム・デファンは労働界の代表者を青瓦台(チョンワデ、大統領府)に連れていった。この会合は盧武鉉の指示だった。ここで盧武鉉はこのように話した。「私が変わったですって? 白状するなら、私は変わりました。毎日毎日、国政のことをやっていると…自分が変わらなくてはいけません」