【コラム】混迷した時代について=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.20 15:16
答えが見えないのに問題解決能力まで退化しているようで、混迷はさらに深まっている。覆われた粒子状物質を突き抜けて何とか自転車ペダルを踏んでみるが、脚がますます麻痺するようなものだ。今、韓国政界は葛藤管理機構というより、哲学者ハリー・フランクファートの表現を借りるなら、そのまま「たわごと(Bullshit)」の饗宴場のようだ。話者自らも自分の言葉が真実なのか偽りなのか関心がないなら、その言葉はたわごとだ。ある者は大統領制や小選挙区制のせいにもするが、そのような制度と関連ないインターネット掲示板やソーシャルメディアもたわごとであふれているのはなぜだろうか。私たちにはまだ公論の場が残されているのだろうか。
個人の幸福と内面の平和は私たち皆が追求しなければならないものではあるが、それがこの混迷した時代の最終的な解答だと信じてはいない。それはまるですべての家と学校と事務室に空気清浄機を普及させれば粒子状物質問題を解決できるというのと同じだ。私が理解する人間は、自分の体と自分の家族と自分の学校と自分の会社の中に閉じ込められることはできない存在だ。彼の良い人生は、良い街、良い社会とともに実現する。