【コラム】無知または無視:韓国の日本対応マニュアル
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.11 09:02
世宗大王(セジョンデワン)は1450年(世宗32年)2月14日に同副承旨の鄭而漢(チョン・イハン)にこのような言葉を残した。崩御3日前だった。結局、これはは遺言になった。「倭(日本)と野人(女真族)への対応は簡単な問題ではない。平安に浸っていれば気が緩まないか本当に心配だ。日々気を引き締めて問題がないようにしなければいけない」(『世宗実録』)。
朝鮮は日本(壬辰倭乱)と女真族が建てた清国(丙子胡乱)によって領土が蹂りんされる屈辱を受け、結局は日本に国を奪われた。立派な指導者の見方はやはり違う。
その後の王は果たして世宗の遺訓に従っただろうか。そうではなかった。朝鮮と日本は通信使(朝鮮側)と国王使(日本側)という外交使節の訪問を交わしたが、通信使の派遣は1479年に途絶えた。日本の動向を把握し、人的情報網を構築する機会を自ら捨ててしまった。朝鮮は100年以上も使節団を送らなかったが、豊臣秀吉の圧力にやむを得ず壬辰倭乱勃発2年前の1590年に通信使の派遣を再開した。このように日本に対しては目を閉じ耳をふさいで、明国ばかり眺めて過ごした。