600人連行された端島炭鉱…病気・変死・事故で122人死亡(1)

600人連行された端島炭鉱…病気・変死・事故で122人死亡(1)

2015年05月14日09時04分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「イ氏〔当時22歳、慶尚南道固城郡(キョンサンナムド・コソングン)〕。1927年12月26日午後7時10分、長崎県端島炭鉱坑内で圧死」。

  「別のイ氏〔当時36歳、慶尚南道晋州市(チンジュシ)〕。1929年1月5日午前5時30分、坑内で溺死」。

  日本がユネスコ世界文化遺産の登録を推進する端島炭鉱で、強制労働をさせられた朝鮮人がどんな生活を送っていたのかを物語る資料が出てきた。国務総理室所属の「対日抗争期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者の支援委員会(支援委)」が作った「死亡記録を通じてみた端島炭鉱強制動員朝鮮人の死亡者被害実態基礎調査」だ。日本の市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」などが探し出した死亡記録を基に作った報告書だ。

  13日、この報告書によれば端島炭鉱には朝鮮人600人が連行されて122人が死亡した。およそ5人に1人が亡くなったことになる。このうち17歳以上の92人について死亡原因を分析した。病気が28人で最も多く窒息・溺死のような変死が24人、炭坑事故が17人だった。報告書を書いたユン・ジヒョン調査官は「病気は悪条件の中でまともに食べることができずに長時間労働をして、栄養不足のためにかかった」としながら「溺死の場合、島から逃げて海におぼれたケースもあると推定される」と話した。

  報告書は、生き残って光復(解放)後に故郷に帰ってきた生存者の証言も載せている。キム氏〔89、慶尚南道宣寧郡(ウリョングン)〕は、「坑道の中は立てないほど狭くて温度が45度を超えた」として「労役中に石が落ちて頭が割れ、時々上から転がり落ちてきた石に当たって死亡する人もいた」と伝えた。

  「1日12時間ずつ働き休憩時間は何分も与えられず、ひどい鞭打ちをされる時が多かった」(モ氏、94、慶尚南道晋州市)、「炭鉱が崩れる事故が多く、死ぬ人が多かった。多くの人が逃げようとしたが、ほとんどが捕まって激しい拷問にあった」〔チャン氏、90、忠清北道槐山郡(チュンチョンブクド・クェサングン)〕などの証言も出てきた。

  支援委のパク・イヌァン委員長は「日本は近代文化遺産だと主張するが、韓国の立場からみれば強制労働と収奪の現場」としながら「暗い過去を棚上げしたままユネスコ文化遺産に登録されないように、真実を捜し出して伝え続ける」と話した。

  端島炭鉱は日本の南西側の島にあり、三菱が運営していた。海水面から1000メートルまで掘り下げた。島が軍艦のように見えることから「軍艦島」とも呼ばれ、犠牲者が多かったことから「地獄島」とも言われた。

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