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【コラム】決心がなければローマ法王を平壌に招待するな(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.10.22 13:39
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フランシスコ法王の平壌(ピョンヤン)行きは実現するのだろうか。そして韓半島(朝鮮半島)冷戦の障壁を取りはらって運命を変えるのだろうか。文在寅(ムン・ジェイン)大統領がバチカンを訪問し、フランシスコ法王に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の招請意思を伝え、法王は「私は訪問できる」と答えたが、楽観は禁物だ。1991年に金日成(キム・イルソン)主席が、2000年に金正日(キム・ジョンイル)総書記が招請のジェスチャーを見せたが、実現しなかった。今回は13億人のカトリックの象徴である法王が一世紀前の「東方のエルサレム」平壌を世界史の舞台に導けるだろうか。

アルゼンチン生まれの法王はカトリックの辺境の非欧州圏、宗教界内部の「野党」イエズス会出身だ。律法より現実を、思弁より行動を重視してきた。キューバのラウル・カストロ国家評議会議長と米国のバラク・オバマ大統領を仲裁し、54年間断絶してきた両国関係を回復させた。コロンビア政府と反乱軍の内戦の終息にも大きな役割を果たした。イスラエルとパレスチナをユダヤ教のラビ、スコルカと共に訪問した。法王は今年初め「私の胸と頭には常に韓半島がある」と述べた。文大統領には「立ち止まらずに前へ進め。恐れるな」と話した。法王の心はすでに韓半島の平和に向かっている。

平壌は2000年前、人類のために苦難を受けたイエスの影が大同江(テドンガン)にちらつく霊性の都市であった。英国人牧師ロバート・トーマスは1866年、米商船ジェネラル・シャーマン号の通訳になり、同年8月27日に大同江を遡って平壌に到着した。平安監司の朴珪寿(パク・ギュス)の朝鮮軍は9月5日、通商を要求する商船を焼き討ちして船員を殺害した。トーマスは朴春権(パク・チュングォン)の手で殺される前、持ってきた漢文の聖書を川辺のあちこちにばらまいた。彼は韓国最初の新教の殉教者になった。朴春権は聖書を拾って読みふけた後に改心し、余生を伝道に捧げる反転の人生を送った。

 
貿易都市特有の開放性と朝廷の西北差別に対する反感が混在した北方都市は、西洋の福音のキリスト教に熱狂した。自らの罪を告白する1907年の平壌復興集会をきっかけに朝鮮の信徒が急増し、1938年には60万人にのぼった。平壌出身の金日成主席も幼い頃は日曜学校に通い、オルガンを演奏した。平壌には中国にもない外国人学校があり、宣教師の子どもが通った。

平壌とカトリックの縁は16世紀末の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に遡る。1592年に豊臣秀吉の信任を受けた小西行長が率いる1万8000人の部隊員はほとんどがカトリック信者だった。商人出身の小西の洗礼名はアウグスチノだった。小西の部隊は十字架が描かれた軍旗を持って釜山浦に上陸し、釜山鎮城、東莱城を蹂躙、破竹の勢いで20日間で漢陽(ハンヤン)入りし、ついに平壌城を焦土化させた。行くところはすべて民の血で山河が染まった。義州(ウィジュ)に追い込まれた宣祖は明への亡命を悩んだ。


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