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韓国初の五輪メダリストの金晟集氏が死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.02.21 09:54
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オリンピックの英雄の金晟集(キム・ソンジプ)大韓体育会顧問が20日午後4時ごろ、老衰のため死去した。97歳だった。1919年にソウル・弼雲洞(ピルウンドン)に生まれた金顧問は徽文(フィムン)高等普通学校(現徽文高校)に入学し、韓国に重量挙げを初めて導入したソ・サンチョン先生に会い人生が変わる。1933年に徽文高等普通学校2学年の時に重量挙げに入門し、2年半で全国大会で優勝した。

普成(ポソン)専門学校(現高麗大学)を卒業した金顧問は1936年に日本で開かれたベルリン五輪最終予選に参加したが、日本の牽制により五輪出場は実現しなかった。彼は朝鮮に戻り朝鮮生命保険と石炭会社などに就職して働き、1945年に韓国が解放されるとすぐに漢陽(ハンヤン)工業高校と徽文中学校で重量挙げ部を指導した。そして自らのトレーニングも怠らなかった。

 
彼は重量挙げ選手としては遅い年齢である30歳の時に1948年ロンドン五輪選抜戦で優勝しロンドンに向かった。当時選手団はソウルから釜山(プサン)、博多、横浜、上海、コルカタ、ローマ、アムステルダムを経てロンドンに入った。実に20日間もかかる殺人的な日程だったが、金顧問は銅メダルを堂々と首にかけた。大韓民国国籍では初めての五輪メダルだった。1950年に戦争が起き1・4後退の時に釜山(プサン)に行った金顧問は海軍士官学校の空地でバーベルとの孤独な戦いを続けた。彼は韓国戦争(朝鮮戦争)中に開かれた52年のヘルシンキ五輪でも銅メダルを取った。韓国人初の五輪2連続メダリストだった。

現役から引退した後も金顧問はスポーツ行政家として大活躍した。72年のミュンヘン五輪と84年のロサンゼルス五輪では韓国選手団団長を務めた。また、泰陵(テルン)選手村の最長寿村長として後進の養成に努力し、韓国をスポーツ強国にするのに大きく寄与した。大韓体育会副会長を経た彼は2011年に大韓民国スポーツ英雄に選ばれた。葬儀式場はソウル峨山(アサン)病院だ。

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