【コラム】やから集団の正義は正義ではない=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.19 13:26
労働組合は他人の苦痛も考える倫理的感受性を大前提として存在する。社会的弱者保護という大義を忘れ自分の食い扶持だけ取りまとめる瞬間正当性は消滅する。ただやからのための正義だけが残る。それは正義ではない。韓国の労組は果たしてどちらか。倫理的実践集団なのか、そうでなければ利己的なやから集団なのか。
産業化の渦中の人類が患った低賃金と長時間労働の熱病を私たちも苛酷に体験した。1970年に清渓川(チョンゲチョン)平和市場の被服工場の裁断師だった全泰壱(チョン・テイル)が23歳の青春を歴史のいけにえに捧げて叫んだスローガンは「勤労基準法を順守せよ。われわれは機械ではない」だった。彼が時代の良心を起こすとエリート大学生は保障された未来をあきらめ溶接工になって労働現場に飛び込んだ。1987年の労働者大闘争により賃金が上がり労働条件が改善されたのは偶然ではない。労働運動の出発点は利他性だった。
大規模事業所の正規職中心の民主労総が下請け企業の非正規職と1500万人の労組未加入労働者らの劣悪な現実に目を背けるいまの姿は利他性とははるかに距離がある。民主労総は慢性的な派閥対立の中で社会的対話機関である経済社会労働委員会に加入するかさえ決められずにいる。週52時間制の副作用を解消するための弾力労働制拡大には頑として反対し、あさってに全国的総ストに突入すると予告した。いったいだれのための労働組合なのか。