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日帝が残した檀君の肖像、朝鮮強制併合の下絵(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.11 13:26
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◆檀君を内鮮一体の手段として利用

11日は大韓民国臨時政府設立100周年となる日だ。国内外の各地で日帝強占期の独立運動を振り返る記念行事が開かれる。帝国主義日本の韓国侵略について考える契機になる。ソウル仁寺洞(インサドン)ファボン文庫で開かれる小さな展示が関心を集めている。30日まで開催される第5回仁寺古典文化祭りだ。

 
今回の展示で注目されている絵が一つある。韓民族の始祖、檀君王倹の肖像だ。本に印刷された最初の檀君の絵という。絵は大ざっぱに見えるが、檀君の姿が初めて登場した本という点で書誌学的な価値が高い。

ところがこの本には韓国史の痛恨の部分が含まれている。韓国を併合しようとする日帝の緻密な計略を垣間見ることができる。檀君の絵が載せられたのは1910年に刊行された『神宮建築誌』だ。1905年の乙巳勒約(第2次韓日協約)で大韓帝国の外交権を奪った日帝は、日本と朝鮮は一つという内鮮一体を強調しようとソウル安岩洞(アナムドン)に朝鮮神宮を建てようとした。新しく建立される神宮に古朝鮮の始祖の檀君と天皇の皇祖神とされる天照大神、そして朝鮮王朝を建てた李太祖の位牌を奉安しようとした。

◆檀君と日本の始祖を共に奉安

日帝は親日派を動員して神宮建立のための神宮奉敬会という組織も作った。日本と朝鮮を主従関係とみる「日鮮同祖論」を具現しようという団体だった。日帝は『神宮建築誌』で檀君を大朝鮮始祖「檀君天皇」と表記した。

序文には神宮の建築目的が書かれている。「いま両国の人々の間に親疎の区分があるとしても神宮を通じて見れば皆が一つの子孫であるため、歳月が流れても神宮を崇敬すれば聖祖の時代にいるようだ」と書いた。

しかし神宮は建立されなかった。いや、建てる必要が消えたのだ。1910年の韓日合邦で工事自体が中断した。表面的な理由は資金不足だったが、実際には檀君の位牌を祀る神宮を建てる理由がなかったのだ。

朝鮮総督府はその代わりに1925年、ソウル南山(ナムサン)に天照大神と明治天皇(1852-1912)神宮を建立して植民政策の象徴とした。檀君まで朝鮮合併の名分に利用しようとした日帝の緻密な計算を確認できる。


日帝が残した檀君の肖像、朝鮮強制併合の下絵(2)

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    日帝が残した檀君の肖像、朝鮮強制併合の下絵(1)

    2019.04.11 13:26
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    1910年に発刊された『神宮建築誌』に登場する檀君王倹の肖像と説明。(写真=ファボン文庫)
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