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【コラム】「暴食放送」を楽しみながら知性を失う人々=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.09.14 09:16
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最近はバスに乗るのが嫌だ。運転席のすぐに後に設置されたテレビ画面から流れる放送を見なければならないためだ。放送内容は韓国の歴史に関する深みある番組でも市民が知るべき重要な懸案に対する報道番組でもない。よく見られるのは、あらかじめ準備されたリアルな食べ物の写真の後に、だいたいは男性の出演者が巨大なギョーザやライスロール、サンドイッチを手に、これを自分の口の中に無理やり押し込むところを見せ、周囲に座っている人々は非常に興奮するという場面が続く無意味な内容だ。

このようなイメージがなぜここまで私を不快にしたのかはよく分からない。中身のない自己中心的なショー番組を視聴せずに、同僚や市民と一緒にバスに乗る権利を侵害されたと感じたためだろう。その番組は倫理的側面ではポルノと違うところがないレベルで食欲と脳幹の本能を刺激する。私はおそらく、露骨な食べ物の浪費をそのように称賛することによって、視聴者たちが食べ物を無意味に消費するようけしかけることに不快感を覚えたのかもしれない。現代は砂漠化の拡散により過去に生産力が高かった農耕地がますます荒廃するようになり、徐々に死にゆく海によって食糧が非常に貴重になった時代だ。至る所に飢えた人々がいる。いわゆる「暴食放送」を視聴していれば、このような真実に考えが及びすらしないだろう。

 
私たちは人々がコメ一粒、水一滴の価値を大切にしなければならない。市民が暴食を模倣してもいいと感じさせることは非倫理的だ。その番組は、韓国の伝統において私が優れていると感じていること、つまり個人の勤倹節約と農業生産に対して深い尊敬心を持つようにする倫理的義務を否定する。

私はその番組の表面の下に潜んでいる悲しみに深い憐憫を覚える。何の考えも持たずに口の中にギョーザを押し込んでいる出演者は、魂の中の深い虚しさを埋めるために必死に努力しているように見えた。彼は私がバスの中で見た、自身のスマートフォンに登場するビデオゲーム、ミュージックビデオ、衣類の写真またはわいせつ物を見ながら精神の空白を埋めようと試みている多くの人々と同じだ。

最近は、大きく粗雑な食べ物の写真がほぼすべての韓国食堂の外部を覆っている。私が1995年に初めて韓国を訪問した時には、食堂にそのような写真はなかった。その当時、韓国の女性たちはどこで良い食材を手に入れることができるのか、家族に出す料理をどのようによく準備できるのかについて話していた。その時の料理過程は、家族という共同体とつながった倫理的人生の一部に属していた。


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    2018.09.14 09:16
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    【コラム】韓国テレビに氾濫する「暴食放送」は食の価値を傷つけた奇怪な文化
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