【コラム】世界文化遺産になる地獄の島「端島」

【コラム】世界文化遺産になる地獄の島「端島」

2015年05月09日11時06分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  産業革命は「アタウアルパの黄金」から始まった。アタウアルパはインカ帝国の(事実上)最後の皇帝だ。スペインのピサロに捕らえられた後、解放すれば自分が閉じ込められた部屋を満たすほどの黄金を与えると伝えた。彼は約束を守ったが、ピサロはそのような偉人ではなかった。アタウアルパは死を免れず、黄金は欧州に渡り、産業革命の元手になった。そのように成長した西欧資本主義は結局、帝国主義の植民地収奪の上に築かれた城と変わらない。カール・マルクスもこう述べた。「製造産業成立の必要不可欠な条件は、新大陸の発見とそこからの貴金属の流入で促進された資本の蓄積だった」。

  西欧の手法をアジアで素早く模倣したのが日本だった。明治維新で産業化の軸を用意し、日清戦争・日露戦争のような帝国主義戦争を起こし、資本を蓄積した。自信を得た後発帝国主義の日本が自らのアジア覇権を認めない西欧列強と正面からぶつかったのが太平洋戦争だ。日本の植民地搾取はよりいっそう激しくなり、強制慰安婦や強制徴用など絶望的だが独創的な新種手法まで加えた。

  ところが、おかしいのはここからだ。西欧から帝国主義の収奪で資本主義を肥らせることを模倣して成長した日本は、模倣したものは大いに誇ろうとするものの、自分たちの創造的発明品は極力隠そうとする。日本がユネスコ世界文化遺産への登録を望む近代産業施設がそうだ。

  外形的な意味だけでみると、それこそ立派な世界文化遺産だ。23施設のち問題になっている7施設もそうだ。日本重工業の歴史の出発点といえる八幡製鉄所はアジアで最初の総合製鉄所だ。三菱の大型クレーンは当時、英国のほかにはどこにもなかった先端施設であり、世界的に珍しい造船遺産だ。端島炭鉱は小さな島全体が炭鉱だったところで、ハリウッド映画『インセプション』『007スカイフォール』の撮影に使われたほど独特の景観を誇る。

  こうした輝かしい遺産を誇るのに堂々とせず、むしろ窮屈そうだ。後ろめたさがあるからだ。誇りの中に恥ずかしい部分もあるが、それをすべて見せる勇気がない理由だ。日本はこれら産業遺産を世界文化遺産に登録申請しながら、対象期間を1850-1910年に限定した。それ以降も稼働を続け、太平洋戦争中にはピークに達し、今日まで使用されているところがあるというのにだ。理由は一つ。産業遺産の7施設で朝鮮人5万8000人が強制労働をした歴史を隠したかったのだ。

  日帝末期に端島に常駐した鉱夫と職員は約5300人で、日本列島で最高の人口密度だった。彼らを収容するために1916年に日本初の鉄筋コンクリート集合住宅が建設された。幅160メートル、長さ480メートルの狭い島を65棟の建物が覆った。その姿が軍艦に似ているとして付けられた別名が「軍艦島」だ。このように島の独特の景観が生じたのは1916年以降だが、1910年までに限定して世界遺産にするという論理がお粗末どころか哀れなほどだ。

  我々はその施設が世界文化遺産になることに反対する理由はない。経済大国日本の礎石であるそこに、運命にもなかった鉱夫になり、立つこともできない狭い坑道で一日12時間以上も石炭を掘った徴用労働者の錆びた廃品と骨粉が染みついていることも一緒に記憶すればよいということだ。我々の外交力もそこに集中しなければいけない。徴用労働者はアパートに住むこともできなかった。日本人鉱夫との葛藤と暴動を防ぐために離れたところに建てられたはるかに劣悪な宿舎に収容された。

  作家ハン・スサンは端島炭鉱の実態を告発した長編ドキュメンタリー小説『カマギィ(からす)』にこのように書いている。「塵肺症でせきをする朝鮮徴用工が蚕のようにうごめいて寝ている地獄島の端島の夜は、荒い波の中に埋もれつつあった」。波に埋もれても歴史が消えるわけではない。

  イ・フンボン論説委員
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