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【グローバルアイ】実力があれば「敵将」も迎え入れた金大中元大統領=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.10.16 15:36
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20年が過ぎたが忘れられない場面がある。

1998年3月25日、汝矣島(ヨイド)国会の前のハンナラ党本部3階記者室。金泳三(キム・ヨンサム)政府で首相と新韓国党(自由韓国党・ハンナラ党の前身)代表を務めた李洪九(イ・ホング)当時「在米大使内定者」の記者会見が開かれた。就任してちょうど1カ月になった当時の金大中(キム・デジュン)元大統領が彼を在米大使に内定した。

 
「首相を歴任した野党の前代表が大使職を務めるのは前例がないこと」という李氏本人の言葉通りだった。彼が当代最高の米国専門家ということに異見がなかった。だが、大統領候補まで取り上げられていた野党の看板政治家だった。そのような彼が在米大使に抜擢され、大統領選挙の敗北以降、喪中のように変わった実家で記者会見を行うことから雰囲気は冷めるほかはなかった。当時は金大中元大統領の人事を「野党破壊戦略」と主張する人々も党内には存在したためだ。

当時政治部の末っ子記者だった筆者は緊張感に包まれた中で行われた会見の内容を手帳に書き取った。ぎこちない中でも李氏は淡々と話を続けた。

「(通貨危機直後)われわれが処した今日の状況もこの国が体験したことのない特殊な危機であることに間違いない」「容易な決定ではなかったが、国が必要とすれば最善を尽くすのが道理だと考えて決心した」…。

20年前の場面を浮かべるほどその破格がますます不思議に思われる。

当代最高の専門家であれば野党のリーダーも抜てきした大統領の決断、自身を冷遇する実家だとしてもわざわざ訪れて淡々と所信を明らかにする内定者の姿を今の現実では見ることができないためだろうか。

初年兵の記者時代の古い記憶まで思い浮かべるのは金元大統領と対照される現政権の外交官人事だ。自らは「組織革新」「偏重人事の打破」と言っているが、「実力のある北核・北米通は積弊とレッテルが貼られる」「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権と縁が深い人物、特定学校、特定人脈出身人物だけがうまくいく」という話が後を絶たない。

韓半島(朝鮮半島)と北東アジアの運命がかかっているという歴史の分岐点で、殺伐な国益死守の現場をリードする外交指揮部のマンパワーには疑問符がつくばかりだ。

最近、発表された外交部人事以降、慎重な人事で有名な日本外務省の官僚らさえも「いったい韓国政府の外交官人事の基準が何か」と尋ねる。政権の好みによって全校トップがびりになり、びりがトップになる現実があまりにも不思議だという表情だ。

実力があれば誰でも迎え入れた20年前の金元大統領の人事も今の基準では「ろうそくの精神違反」だろうか。

ソ・スンウク/日本支社長

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