韓国映画、いつまで女性を冒とくするつもりなのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.05 15:01
韓国映画に新しいジャンルが現れたようだ。今まで当然視されていたが、社会全般のジェンダー感受性が進化して、最近問題になっているというのが正確な表現ではないだろうか。「男映画」がそれだ。男映画とは? いまいち抽象的すぎる。だが、用語の正確度を突き詰めるのと同じくらい簡単なことには見えない。男映画は単に男性が次から次へと登場して彼らだけの物語を展開するような映画ではない。逆説的にも、この新興ジャンルの核心は女性に対する映画の態度にかかっているということだ。これらの映画は、男性性を刻印するために女性を暴力的に描写する。単純無知な障害物として取り扱ううちはまだ幸いだ。脱がして、覗き見て、殴って、強姦して、殺害する。搾取方式のほかに女性に対する想像力が非常に薄い映画が男映画である。
◆『探偵なふたり』-刑事ごっこを止める妻は性悪女?
男映画の事例は周辺にあふれている。遠く昔に遡らなくても、過去数年間の韓国映画を基に男映画の特徴を概括してみれば次のとおりだ。まず、男映画で女は男の悲壮な課題を邪魔する障害物水準として均一化される。『探偵なふたり』が代表的な事例だ。夫は本業である漫画喫茶の経営ではなく、いつもネット上に出回る未解決殺人事件に執着する。家のことはそっちのけで刑事ごっこにハマるのは夫だが、映画はそれに対する妻の批判をゆがんだ性悪として扱う。無能でまだ大人になりきれない夫の地位を守るために、常識的で分別のある妻を神経質に描写するのだ。結末にはさらに戸惑う。「どうしよう、慈愛深い我々男が我慢してやらなければ」式だが、実に便利な「精神勝利」といえる。