【中央時評】プリツカー賞の一つも受賞できない韓国の建築家(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.05 08:45
磯崎新。日本人建築家だ。2019年のプリツカー受賞者。常套的な表現で「建築のノーベル賞」だ。知名度から見ても彼が第41回受賞者になることに異見を唱えるのは難しい。それで今年は話題だった。日本の受賞者は計8人になった。最も客観的な基準で日本は世界最高の建築強国と認められたのだ。ここでいつも出てくる文章が一つある。韓国の建築家はいない。これは叙述ではなく詰問だ。いったいお前たちが何が問題なのか。隣の子は優等賞も次々と受けているのに。
もう少し比較してみよう。建築の0:8はむしろそれほど恥ずかしいことではない。ノーベル賞は1:24だ。ところが平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)の金メダル数は5:4だった。いったい何が問題なのか。プリツカー賞は建築家の計画案を評価しない。完成した建物を見て判断する。図面ではなくて成就を見るのだ。それで建築家が代表として受賞するが、結局はその過程に関与した社会の価値を称賛するものだ。ノーベル賞も背景に社会がある。問題点を見つけるのなら建物が建てられる過程をのぞく必要がある。
建物は建築主が提示する日程・予算・用途・敷地の条件の中から始まる。建築家はこれを満たす創造的な代案を提示しなければいけない。その計画が建物として都市に具現されるのは社会的な過程だ。許認可を含めて設計段階よりはるかに多くの人員の施工者が介入する。すべてが集合的に役割を果たさなければまともな建物は築かれない。