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【コラム】中間地帯を立て直さなくては=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2026.02.11 12:03
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韓国社会で政治の温度は依然として高い。選挙が近づくほど声は大きくなり、言葉はますます荒くなる。しかし多くの人の感情は冷めている。憤怒と嘲弄はあふれるが、信頼は早く消耗している。いま韓国の民主主義が見せる最も重要なシグナルは二極化そのものより、その間を支えていたある空間が静かに消えているという事実だ。政治的中間地帯の崩壊だ。

中間地帯は世論調査でいう「中道層」とは違う。どの党に入れるか迷う留保の態度でもなく、すべての事案で両側を批判する態度でもない。中間地帯とは対立が存在しても政治が規則と手続きに戻るよう捕まえておく緩衝空間だ。民主主義は多数決だけでは維持されない。不完全で暫定的であってもその決定を支える合意の領域が必要だ。中間地帯はまさにその合意が積もる制度の空間だ。

 
この話をもう少し簡単に解きほぐしてみよう。中間地帯はすでに韓国社会に存在する人たちだ。毎日出勤して働き、子どもを育て、技術変化に遅れをとらないよう努め、一生懸命に暮らしても制度が突然変わって損をしたりしないか心配する人たちだ。政治的スローガンには簡単に興奮しないが、社会が不安定になることにはだれよりも敏感だ。彼らが望むのは特定理念の勝利ではなく、自身の人生を設計できる最小限の予測可能性だ。

北欧諸国の幸福指数が高いのは単に民主主義がより成熟しているからではない。これらの社会では中間地帯が制度的に維持される。妥協は道徳的欠陥ではなく統治の技術として理解され、政治がしばし止まって調整する時間を設けてもその過程が制度内で管理されるという信頼を持つ。予測可能性が高くなれば個人の生活は安定性を得る。

問題は韓国の政治がこの中間地帯の空間にますます耐えられずにいる点だ。政治的言語は早く道徳化され、相手は競争者ではなく必ず正さなければならない「誤った存在」と規定される。妥協は責任ある選択ではなく裏切りのように受け止められ、留保と熟考は無能の証拠と扱われる。政策が正しいか正しくないかは制度の設計や効果よりも「だれが話したのか」によって判断される。この過程で実用的能力と制度設計能力はますます隠される。政治で動員される道徳は恣意的で不完全だ。民主主義の危機は政治が道徳を失った時ではなく、道徳を独占して制度の言語をなくした時に始まる。

なぜ韓国社会から中間地帯が消えたのだろうか。政治の作動方式が設計と調整より動員と結集にシフトしたためだ。動員政治は明確なスローガンと速い判断を要求する。この過程で最も不都合な存在はすぐに反応しない人たちだ。憤怒の言葉に簡単に動員されず、単純な善悪の構図で世界を見ない人たちだ。自分の仕事と生活に集中しようとする彼らは動員政治でいつも周辺に追いやられる。

中間地帯の喪失は情報と制度の歪曲につながる。複雑な政策とデータは単純なフレームに切り取って伝えられ、制度は問題を解決するより陣営の正当性を強化するツールとして消費される。報道機関とソーシャルメディアは対立を増幅させる構造の上に置かれている。このように歪曲された情報と制度の上では個人が自身の人生を合理的に設計するのがますます難しくなる。

崩壊した中間地帯は個人の沈黙と回避に変わる。この沈黙は政治的無関心とは違う。中間地帯から退いた人たちは政治がこれ以上自分の人生を予測可能にさせられないと感じた人たちだ。制度ひとつが揺れるたびに貸付と年金、子どもの教育計画を再計算しなければならない現実の中で、これまで社会を支えてきた人たちは政治的情熱の代わりに計算機を手にする。

アイロニーにも韓国の民主主義の重要な進展はいつもこの中間地帯が「これは違う」として動く時になされた。民主化過程でも、民主主義を守った決定的瞬間でも、彼らはしばし政治の中心に出てきて社会の軸を動かし、役割を終えれば静かに自分の場所に戻った。いつも前面に立ちはしなかったが、決定的な瞬間に方向を変える力だった。

いま必要なことは中間地帯を再び政治の周辺から中心に移しておくことだ。すべての事案で中道を選ぼうという意味ではなく、憤怒を消したり対立を隠そうという提案でもない。中間地帯復元の目標は特定の政治路線ではなく、社会が作動する方式を立て直すことにある。法と制度の連続性を回復し、変化する社会と技術環境の中でも誠実に働く人たちが自身の人生を予測可能に設計できるよう社会の作動原理を再確立することだ。この課題をまず現実の選択肢として作り出せる主体が次の段階の政治の主役にならなければならない。

イ・ジェスン/高麗(コリョ)大学一民国際関係研究院長・国際学部教授

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