【コラム】乙巳年を送りながら再び日本を考える=韓国(1)
中央SUNDAY/中央日報日本語版2025.12.28 12:30
歴史にどの年であれ静かな年などなかったが、乙巳年を送る心はどこか寂しい。時代と関係なく、その時代を生きながら回顧する人たちは自身の世代が最も激動期であり、そのため自分を不遇だと感じる。歴史であれ人間史であれ過ぎて見れば小説のようで、いまは笑って話せるし、過ぎて見れば本当にだれにとっても1編の小説のようで、ある時代の長編ドラマのようだ。乙巳年が特にそうだった。
ところで個人であれ国であれ、私たちの乙巳年の歴史で重要な変因は日本だった。その悲劇の始まりを見ると1905年の乙巳条約から始まって体験した日本の体験が業のように胸を押しつぶす。少なくとも韓日関係では自身の暗い歴史に対し悔悟する姿が私たちにないということが奇異に思える。ある帝国が滅亡し銃の1発も撃てず、王は伊藤博文の脅迫の前にどうしていいかわからず大臣たちに責任を転嫁した。