<創刊企画「大韓民国トリガー60」④>光復軍出身の首相を据えた李承晩…初代内閣「親日」はたった3人
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.07.04 14:05
1945年8月15日光復(解放)の感激はそれほど長くは続かなかった。祖国独立に対する期待は高かったが、実際に韓国人が向き合うことになったのは冷酷な国際的現実だった。翌16日付の毎日新報には「米国・英国・中国・ソ連4大国の決定を受け入れる」という裕仁天皇の勅語と、最後の朝鮮総督を務めた阿部信行の「軽挙妄動するな」という物々しい警告文がトップ記事に掲載された。その根元は遠くカイロ宣言(1943)に盛り込まれていた朝鮮の信託統治を受け入れるという意味だった。
その後南韓(韓国)には米軍政(1945~48)が入り、北韓(北朝鮮)にはソ連の背後についた金日成(キム・イルソン)が権力を握った。米軍政期間、南韓では信託・反信託統治を巡り混乱が渦巻いた。