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【時視各角】思い出す「検事尹錫悦」の捜査

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.03.14 15:07
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拘束取り消しで釈放された尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が梁承泰(ヤン・スンテ)元大法院(最高裁)長に言及したという話に関心が向かった。尹大統領と弁護団が法的手続きを問題視して「令状ショッピング」という言葉で高位公職者犯罪捜査処(公捜処)を非難するたびに、尹大統領の梁元大法院長捜査が思い浮かんだからだ。同時に禹柄宇(ウ・ビョンウ)元青瓦台(チョンワデ、元大統領府)民情首席秘書官も思い出した。いま尹大統領を弁護する尹甲根(ユン・ガプクン)弁護士らが検察在職当時に主導した禹首席秘書官の捜査は検察がどれほど「変化無双」であるかを克明に見せている。

司法行政権乱用疑惑で検察の捜査線上に浮上した梁元大法院長は始終一貫、無罪を主張した。検察は梁元大法院長の自宅などの家宅捜索令状を請求したが、裁判所は「容疑の疎明が不足する」として棄却した。それでも検察は令状請求を繰り返した。この渦中に転機を迎えた。当時の金命洙(キム・ミョンス)大法院長体制で3人だったソウル中央地裁の令状担当判事を4人に増やしたのだ。追加された1人は10年ほど検事生活をして転職した判事だった。彼が梁元大法院長関連の家宅捜索令状を発付し、版図が変わった。この捜査を当時ソウル中央地検長だった尹大統領が指揮した。

 
公捜処の形態が「令状ショッピング」なら、担当判事を変えて令状の発付を受けた当時の検察の捜査は「判事ショッピング」と命名できるのかもしれない。新生の公捜処が単独でどたばたした今回とは違い、当時は「金命洙コート」が検察出身の裁判官まで投入したのだから検察は心強かったはずだ。金元大法院長は林成根(イム・ソングン)元判事弾劾を無理に進めた共に民主党側に立つような発言が後日録音で公開され、衝撃を与えた。林元判事の弾劾訴追は、昨日も崔載海(チェ・ジェヘ)監査院長と李昌洙(イ・チャンス)ソウル中央地検長の裁判官全員一致棄却に帰結した民主党の「弾劾乱発」シリーズの第1弾程度と評価される。

裁判所の気流の変化の中、検察は梁元大法院長に対して拘束令状まで請求した。検事出身の裁判官は令状を発付した。梁元大法院長はその後、法廷で「造物主が無から有を創造するように300ページに達する起訴状を作り出した」と抗弁した。たとえ複数の判事を経て発付された令状であっても梁元大法院長が有罪判決を受けたのならまだしも、裁判所は昨年1月、梁元大法院長の47件の容疑すべてに無罪を宣告した。

李碩洙(イ・ソクス)元特別監察官と葛藤が生じて捜査対象となった禹柄宇元首席秘書官は政権によってジェットコースターに乗ったケースだ。朴槿恵(パク・クネ)政権当時の特別捜査チーム長が、いま尹大統領を弁護する当時の尹甲根(ユン・ガプクン)大邱(テグ)高検長だ。禹元首席秘書官と司法研修院同期(第19期)の尹元高検察長は厳正な捜査を約束したが、あいまいに終わった。

しかし政権が交代すると状況は急変した。尹大統領が指揮したソウル中央地検は禹元首席秘書官を激しく追い込んだ。禹元首席秘書官に対する拘束令状がすでに2回棄却されたが、捜査チームは3回目の令状を強行した。今回も李元特別監察官関連の事案だった。結局、禹元首席秘書官は文在寅(ムン・ジェイン)政権発足の7カ月後に拘束された。捜査検事の前で腕組みをしながら余裕の姿で笑う写真が公開された禹元首席秘書官は約1年後、法廷で「検察が私個人に対して4回も拘束を要請した」とし「検察という巨大な公権力が禹柄宇という個人にあまりにも過酷、残忍だという気がする」と訴えるに至った。

今も検察は論争の中心に立っている。尹大統領側の不拘束捜査要求にもかかわらず拘束起訴したが、裁判所が拘束取り消し決定を出すと即時抗告をせず釈放した。千大燁(チョン・デヨプ)法院行政処長(最高裁裁判官)が即時抗告が必要だとまで述べたが、最高検察庁はしないと釘を打った。

尹大統領は拘置所で「多くを学んだ」という。彼が独居房で悩んだことが反国家勢力・専攻医・憲法裁判官処断方法でなく、検察の捜査方式に対する根本的な問いであることを望む。梁元大法院長を思い出しながらした考えをもう少し詳細に知りたい理由だ。

カン・ジュアン/論説委員

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