【コラム】韓国の完勝で終わった77年間の南北修交戦争(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.03.13 13:52
#1.1989年1月、旧ソ連のエドアルド・シェワルナゼ外相が平壌(ピョンヤン)を訪問し、金日成(キム・イルソン)主席(1994年死去)に会った。韓ソ修交を1年8カ月後に控えた時点だった。金主席はシェワルナゼ外相に「ソ連が南朝鮮と外交関係を正常化する場合、在モスクワ大使館以外の公式使節団を全員撤収する」と伝えた。シェワルナゼ外相は翌年8月、韓国との修交18日前にまた平壌を訪問して了解を求めようとしたが、金日成主席は会うこともしなかった。
#2.1992年4月15日、金日成主席の80回目の誕生日を祝うため平壌を訪れた中国の楊尚昆国家主席は金日成主席に「韓国と(外交)正常化をする時が近づいた」と述べた。慌てた金日成主席は「(韓国との)修交を2、3年だけ遅らせてほしい」と要求した。北朝鮮が米国との関係改善を推進しているので歩調を合わせてほしいという趣旨だった。しかし3カ月後、中国の銭其琛外相が北朝鮮の妙香山(ミョヒャンサン)にいた金日成主席を訪れて「来月(8月)韓国と修交する」という事実を通知した。これに対し金日成主席は「我々は自主路線を歩む。中国がすることは中国が、我々がすることは我々が」とし、中国に不満を隠さなかった。