【中央時評】全体主義的民主主義=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.03.04 16:38
尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の戒厳が笑えない喜劇だったなら、宗教と政治が絡んだ三一節(独立運動記念日)の大衆集会は悲劇の始まりのようだ。政治家がそのような集会に出て行くというのは政治の機能が崩れたことを意味する。それは政治でなく扇動だ。社会がどうなろうと、機会さえ得られればよいという無責任な態度だ。少なくとも三一節の街頭で政治は死んだ。政治家も死んだ。共同体、そのようなものはなかった。路上には分断した2つの国があった。
政治が危機意識を強要して人々を路上に呼び出せば、それはもう政治ではない。合理的に問題を解決できないと話すのは、我々に恐怖を強要する脅迫だ。恐怖と脅迫は支配の方法であり、政治の方法ではない。過去にドイツの宰相ビスマルクが述べたように、政治は「可能性の芸術」だ。我々をどん詰まりまで導かないことこそが政治だ。相手が敵対と攻撃をやめれば、また平和を話して解決策を摸索できてこそ政治だ。いま我々の政治は話もできなくなっている。