朝鮮人犠牲者の追悼のあいさつは省いて…「喜び、感謝」という日本[現場から]
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.11.26 07:14
25日午前9時ごろ、新潟県佐渡島。海が見下ろせる小さな山道に白髪に杖をついた高齢の人々、彼らを助けた人々が見え始めた。佐渡金山・朝鮮人犠牲者の遺族だ。一行が足を止めたところは日帝強占期時期に強制動員された朝鮮人労働者が居住していた「第四相愛寮」跡地。雑草が生い茂っているところに設置されたテントには「佐渡鉱山強制動員韓国人犠牲者追悼式」という横断幕がかかっていた。
「80余年前、佐渡鉱山に強制的に動員されて過酷な労働に疲れて倒れていった韓国人労働者の方々の英霊に頭を下げて深い哀悼を表し、謹んでご冥福をお祈りします」。韓国の朴喆熙(パク・チョルヒ)駐日大使が遺族9人ら30人が集まった中で追悼の辞を読み始めると、前列に立っていたある遺族が涙を拭い始めた。10分後に行事が終わると犠牲者の遺族は一人二人と前に出てきて位牌の前でチョル(韓国式のあいさつ)をして酒を供えた。虚しい表情で山道を降りてきた一行は佐渡金山に向かった。観光地に変わった鉱山坑道を見て回っていた高齢のある遺族は「父の名前もどこかに記されている所があるはずだが」と言って、案内パネルの前で言葉をつなぐことができなかった。3泊4日、生まれて初めて家族の痕跡を探して佐渡島を訪問した遺族の日程はこのようにして終わった。