【コラム】米大統領選を控えた機先制圧? 恨み政治?…金正恩の危険な動き(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.09.26 15:38
#1.北朝鮮は2004年1月8日、平壌(ピョンヤン)を訪問した米国の核物理学者ジークフリード・ヘッカー博士の一行を寧辺(ヨンビョン)核団地に案内した。一行を迎えたイ・ホンソプ寧辺原子力研究所長は「我々(北朝鮮)が作ったものを見ますか」と述べ、職員にプルトニウム保管容器のグローブボックスを会議室に持ってくる指示した。靴の箱よりやや大きい褐色のグローブボックスには引き戸が付いた白い木箱が、その中にはスチロールで包まれた2本のガラス瓶が入っていた。核弾頭を製造するプルトニウム200グラムだった。北朝鮮が核物質を外部に公開した初めての瞬間だった。
#2.それから6年後。北朝鮮は2010年11月12日にヘッカー博士の一行をまた寧辺核団地に案内した。今回は北朝鮮が1週間前に完工したとヘッカー博士に説明したウラン濃縮工場だった。北朝鮮は高濃縮ウラン(HEU)を生産するためにオランダの「アルメロ」と日本の「六ケ所村」の施設を参考にして独自で製作した2000個の遠心分離機を見せた。北朝鮮がHEU濃縮工場を外部に知らせたのもこの時が初めてだ。