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<ゴルフ>金銀銅を手にした天才少女…童話のような「リディア年代記」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.08.15 11:12
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2003年、ニュージーランド北島のオークランド近くのププケ・ゴルフクラブ。

東洋人女性が6歳の娘の手を握ってゴルフクラブに入り、レッスンを頼んだ。22歳の若いヘッドプロのガイ・ウィルソン氏は断った。少女がとても幼くて小さかったからだ。それに英語ができなかった。

 
11日、パリ五輪(オリンピック)女子ゴルフで金メダルを取り、名誉の殿堂入りを果たした韓国系ニュージーランド人のリディア・コ(27、韓国名コ・ボギョン)の年代記を書くためには、こんな風に書き始めなければならないだろう。

リディア・コの成長期は童話のようだ。祖母が「一人っ子は寂しすぎるから、あと一人だけ産みなさい」と息子に6年間促して生まれた子どもがコ・ボギョンだ。姉と8つ違いだ。5歳の時にゴルフクラブを握ってみたが、才能を見せ、家族は芝生でボールを打てるニュージーランドに行った。その時初めて会った先生がウィルソン氏だった。ウィルソン氏は最終的にリディアを教えることにした。性格が明るくて優しいうえに才能もあるリディア・コにすぐ惚れこんだが、こんなにすごい童話を書くとはウィルソン氏も思わなかっただろう。

リディア・コは翌年、地域大会に出場して最下位になった。成人大会に出場した7歳の少女だったから当然のことだった。その時、1位になった選手が14歳のシャロン・アン、韓国名アン・シネだった。リディア・コはしばらく雲の上の存在のようなアン・シネについて回りながら一緒に練習した。

『リディア・コ、10代のゴルフ天才少女の肖像画』を書いたニュージーランドの記者マイケル・ドナルドソン氏は「2000年代初め、シャロン・アン、セシリア・チョ(チョ・ジョンミン)、リディア・コが順に頭角を現した。3人とも一生懸命頑張ってトップに上り詰めたが、リディア・コは特別だった。リディア・コは授業を受けながら、早朝と夕方はもちろん、昼休みも惜しんで練習した」と書いた。

2012年4月に米ハワイ・コオリナ・ゴルフクラブで行われたLPGAツアーロッテチャンピオンシップ。リディア・コはその日、キム・ヒョジュ、アリヤ・ジュタヌガーンとともにラウンドを回った。いずれも10代のジュニアアマチュア選手だった。初日のリディア・コの成績が一番悪かったが、最終結果はリディア・コが一番良かった。最年少のリディア・コがプロ大会で4位になった。同年秋、カナディアンオープンでリディア・コは歴代最年少LPGAツアー優勝を収めた。

リディア・コは最年少LPGA優勝、最年少女子メジャー優勝、初の10勝、最年少世界ランキング1位など最年少記録製造機だった。17歳だった2014年、タイム誌が選んだ世界で最も影響力のある100人に含まれた。

しかし、リディア・コは20代に入ってスランプに陥った。何事にもポジティブだったリディア・コは、大人になってから「恐怖」というパンドラの箱を開けたようだった。優勝どころかトップ10入りも果たせなかった。そんなリディア・コに白馬の王子様が現れた。2022年にリディア・コは3勝して復活したが、彼女が再び優勝し始めたのは彼氏と付き合い始めた時期とほぼ一致する。リディア・コは同年末、現代カードの丁太暎(チョン・テヨン)副会長の息子チョン・ジュン氏と結婚した。

結婚直後、記者と会ったリディア・コは「夫はゴルフ選手のリディア・コではなく、コ・ボギョンという人間を好きになってくれる人だった。私の成績が良くても悪くても関係なく励ましてくれたし、それが力になった」と語った。

リディア・コは五輪への愛が深い。2016年の最初の五輪でリディア・コは「涙が出そうだが、金メダリストの朴仁妃(パク・インビ)先輩が泣かないから銀メダリストの私は泣けなくて無理矢理耐えた」と語った。

リディア・コは善良な人が成功できるということを見せてくれた。戦場のようなツアーで暖かい気持ちで名誉の殿堂入りを果たしたのがすごい。21年前に南半球の小さなゴルフ場で始まったリディア年代記は、パリでドラマチックなハッピーエンドを迎えた。

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    2024.08.15 11:12
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    写真=金メダルを首にかけて涙を流すリディア・コ。「最年少タイトル」製造機と呼ばれた彼女は、五輪まで制覇して「ゴールデン・グランドスラム」を達成した。キム・ソンリョン記者
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