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【コラム】韓国の矗石楼と日本の金閣寺

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.01.03 11:51
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日本、その中でも歴史都市と呼ばれる京都を初めて訪問した外国人観光客なら必ず行く必須コースがある。世界文化遺産に登録された金閣寺だ。

最近密陽(ミリャン)の嶺南楼(ヨンナムル)が国宝に再指定されたという知らせを聞いた時、何の関連もなさそうにみえるこの「金閣寺」と晋州(チンジュ)の矗石楼(チョクソンヌ)が重なって思い出された。各種資料を探してみるとこの2つの建築物が同時に思い起こされた理由があった。ほぼ同時期に焼失して再建されたが一方(金閣寺)は「金の器」のように大事に扱われているが、国宝だった矗石楼は冷遇されている点だ。

 
手荒に要約すれば1397年に建築された金閣寺は1950年に放火によりほとんどが焼失した。当時この寺が放火されたというニュースは日本社会に衝撃を投げかけた。火を付けた見習い僧侶が「世間を騒がせたかった」と犯行動機を明らかにしてだ。注目すべき点はその後の復元過程だ。骨組みだけ残った金閣寺は5年後に1次復元されたが、急いで復元したため所々金箔がはがれ「金閣」ではなく「黒閣」と揶揄されたりもした。しかしその後の2次・3次復元工事を経て1999年に現在の金閣寺として再誕生した。焼失から50年目になる年だ。

これに対し平壌(ピョンヤン)の浮碧楼(プビョンヌ)、嶺南楼とともに朝鮮時代3大名楼と指折り数えられた晋州の矗石楼は韓国戦争(朝鮮戦争)当時の爆撃で全焼した後に再建された。だがまだ失われた価値を取り戻せずにいる。1960年に再建された当時だけでも当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が訪問するほど全国的な注目を集めたが、1956年に国宝から解除されてからまだその地位を回復できずにいる。

1983年に文化財指定審議が行われたが、文化財の中で最も下位等級に当たる慶尚南道文化財資料第8号にとどまった。その後2004年と2014年の2回、国宝還元大市民運動が展開されたが大きな成果を出せず、2020年に慶尚南道有形文化財第666号に指定されたのがすべてだ。さまざまな理由があるが「建築年代が短く再建築で原形と変わった」ということがこうした扱いを受ける最も大きい理由という。

だが金閣寺が燃えてからこれを再建するために日本社会がどんな努力を傾けたのか少しだけ調べれば矗石楼が国宝に復活しなかった最大の理由がどこにあるのか見つけるのは難しいことではない。

矗石楼は全焼し完璧な原形で保存されたものではないが、矗石楼は高麗の高宗(コジョン)時代である1241年に創建されてから事実上1000年近く奇跡的に生き残った韓国楼閣建築の象徴だ。また、晋州大捷と論介(ノンゲ)、金時敏(キム・シミン)将軍などで代弁される矗石楼の歴史性と象徴性は火災にも消えることのない不変の価値だ。それだけでも晋州矗石楼を国宝に昇格しようという声に耳を傾けなければならない理由は十分だ。

ウィ・ソンウク/釜山総局長

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    2024.01.03 11:51
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    平壌浮碧楼、密陽嶺南楼とともに朝鮮時代3大名楼に選ばれる晋州矗石楼。ペク・ジョンヒョン記者
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