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【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.10.03 15:57
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独立有功者になるには農民軍の胸中に「抗日闘争」という旗印が翻っていなくてはならない。竹槍と鍬(くわ)を持って武装(南接)と報恩(北接)集会に自主的に集まった農民軍の内面に独立と抗日があっただろうか。火縄銃を持って日本軍のガットリング機関銃の前に突進した意気は何だったのだろうか。「座れば竹山、立てば白山」の1万人余りの農民軍の脳裏にはまず除暴救民が刻印されていた。支配層の収奪から家族生計を救おうとしていた民衆だった。それを遮る外勢はもちろん、外勢を呼び入れた朝廷も敵だった。「輔国安民(国を正して民を安らかにする)」はそのため登場した。死を恐れず突進した力は内面の声、すなわち東学の教理だった。

東学は彼らにハンウル様(神様)の声を聞かせ、侍天主すれば永生不滅だという信頼を植え付けた。彼らは東学教徒だった。東学は西学(キリスト教)に対抗した学問であり、天道を人民のものにした民衆宗教だった。ハンウル様が霊符と先約を与えた。形状は太極であり弓弓だった。霊符を受けて呪文を唱えれば病気が治り、天の心に達する。弓弓村は民間が渇望する楽園で、万事が調和をなす(造化定)理想郷だ。日本軍に突進する農民軍は「弓弓」というお守りを胸に付けていれば弾丸が避けていくと信じていた。

 
ハンウル様が自分の胸中に降りてくれば支配層の宗教が自分の宗教になった。四民平等に目を開き、皆が神だという「事人如天」の思想が芽生えた。東学は朝鮮最初の「宗教改革」だった。まるで欧州中世のルターが「信仰のみ(solafide)」という悟りで宗教改革をスタートさせた過程と似ている。創教者の崔済愚がルターなら、海月(へウォル)崔時亨は改新教理を伝播したカルヴァンで、全琫準は農民戦争を指揮したミュンツァーだった。独立有功者云々の論理は東学の歴史的地平を民族主義の小さな道に格下げする発想だ。

東学法改正案を発議した議員の地方区が井邑というが、井邑黄土峴の戦い(4月)には清軍も日本軍もいなかった。1907年旧式軍隊解散前後の義兵運動こそ独立抗争の宝庫だ。彼らのほとんどが山野で死んだので記録がない。これは郷村野史までひっくり返す価値はある。

宋虎根(ソン・ホグン)/中央日報本社コラムニスト・翰林(ハンリム)大学陶軒(トホン)学術院院長・碩座教授

【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(1)

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