【コラム】金正恩の5泊6日ロシア訪問の損益計算書は(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.09.21 15:47
◇決定的瞬間を迎えるたびにロシアを訪れる北朝鮮
北朝鮮指導者は建国以降、切迫した状況に直面するとロシア(旧ソ連含む)を訪れた。1949年2月金日成(キム・イルソン)主席(当時内閣首相)が贈り物を山のように持ってスターリン共産党書記長のもとを訪れたことが代表的だ。金主席はスターリンと南侵を相談し、借款と戦争物資支援の約束を取り付ける「朝ソ両国間経済的および軍事的協力に関する協定」を締結した。韓国戦争(朝鮮戦争)を3カ月後に控えたときも急きょモスクワを訪問している。戦争が終わった53年9月には戦後復旧のために手を伸ばした。今回を含めて17回の露朝首脳会談が開かれたが、北朝鮮にとっては毎回が「決定的」瞬間だった。金委員長も武器現代化の最後のパズル合わせにロシアカードを取り出した。
自立を強調する北朝鮮だが制裁と3年6カ月以上のセルフ封鎖に伴う経済難の突破口も必要だった。沿海州州知事に会って農業および観光に関連した協議をしたことがこれを物語っている。北朝鮮は今回ロシアの食糧支援提案を断ったと言われている。代わりに開店休業状態の露朝経済委員会の再稼働を通じて北朝鮮人材を大規模に輸出したりロシア観光客を誘致したりするなど間接支援を受ける可能性は残っている。北朝鮮が沿海州地域で直接小麦を栽培して輸入する方案も予想される。