【コラム】知的な態度、大韓民国の底力
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.06.23 16:27
ある集まりで東南アジアとアフリカの数カ国が話題になった。その国を訪問した人たちが対話を主導したが、対話の最後に、そのような国々に朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領のような指導者が一人いれば韓国のように発展したはずだと話した。私は内心、そのような国々に朴正熙大統領のような指導者が十人がいても韓国のようには発展しなかったのではないかと一人で考えた。
そのように考えたのには理由がある。文明は考えの結果という点で知的産物だ。知的伝統がある民族や国々だけが発展する。意識は本能的であるが、考えは意図に基づいて統制された意識下ですることであり、極めて人為的だ。人為的であり意図的にする活動能力を「知的」という。単純に知識だけと連結するのではない。知識よりはるかに広い範囲で使用する。「知的」という言葉自体に拒否感を抱く人もいるが、文明はそのような拒否感のようなものは意に介さず、むしろそのような人々には目も向けず、ただ前に進む。地球は丸いのか、それとも平坦なのか、特に考えもなく感覚と本能に従って見ると地球は平坦だ。よく考えてみると地球は丸い。地球が丸いというのは一つの検証された信頼としての知識だ(justified true belief)。地球を平たいものと「感覚」する人よりも、地球を丸いと「認識」する人が、生活の質と量をより大きく占めるのは極めて当然のことだ。知的でなければ地球は平坦だと感じ、知的なら地球は丸いと認識する。「知的」な人は知的でない人と比べて何でも人為的に、意図的にできる。ソクラテスが勇気を「知的忍耐」と言ったことから、我々は「知的」という概念の使い道をより具体的に理解することができる。努力、節制、愛、慈悲、配慮、対話、妥協等も感覚と本能を克服した知的行為だ。対話ができず、相手を配慮できず、決められた考えにとらわれ、怠けて、礼儀や廉恥がなく、「ネロナムブル」(私がすればロマンス、他人がするのは不倫というダブルスタンダード)に陥るのは、すべて知的でないからだ。