【時視各角】海の汚染、政治の汚染=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.05.25 11:11
#1.2011年3月の福島の記憶は強烈だった。マグニチュード(M)9・0の東日本大震災と最大39メートルの高さの津波が東北を襲った11日午後2時46分、私は偶然にも出張のため東北にいた。電気・通信・水道ががすべて途絶えた。強い余震のため眠れなかった。経験したことのない、死の門の前にまで行ったぞっとする世界だった。東京に戻るバスの中で福島原発1号機の水素爆発を聞いた。
14日に3号機が、15日に2号機と4号機が爆発した。放射能雲が雨を降らせて東京を襲った15日を覚えている。当時、原発周辺ではヨードとセシウムなどあらゆる放射性物質が検出された。3カ月が経過して米カリフォルニアに福島の残骸が流れ着くと「カリフォルニアのプルトニウムが増加した」と声も出てきた。また「黒潮海流に乗って1、2年後に韓国に放射能海水が流入する」という話が広まった。当時は私もそう信じた。事故当日の強烈な記憶のためだった。しかし結果は違った。放射能汚染水がいかなる浄化処理もされずに海に流れたが、広大な太平洋で完全に薄まった。「データに立脚した科学」と「私の頭の中の懸念」は違ったのだ。
その後、日本は止水工事をし、3億ドルを投入して氷の壁を構築した。すると放射性核種が64種から30種に減った。農産物も同じだ。「福島産の農産物を食べればがんになる」という怪談が韓国に広まった。ところが5年間にわたり福島産コメ1000万袋を全量測定すると、99.99%が1キロあたり25ベクレル未満(基準値100ベクレル)だった。徹底的な除染の結果だった。それでも信じない人たちは「日本が嘘をついている」と言った。放射性物質が「どれほどあるか」ではなく「あるかないか」で問いただし、想像に近い仮定を基準にした。専門的な知識も、ぞっとする経験もない人たちがそのようにした。