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【コラム】20代の日本留学で気づいたこと 「なぜ熱心に働くのか」=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.03.31 16:06
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20歳になった時、大学の勉強のために日本に行った。数年間過ごしながら痛感したことがある。これほど熱心に働く国民だから怠惰なわが民族を支配して暮らしたのか、という自責感だった。

当時、わが民族は実に怠惰だった。遊んで食べる運が良い運だとし、民謡にも「遊ばずにいられるか」と出てくる。両班(ヤンバン)は貧困に苦しみながらも楊枝をくわえていた。腹いっぱい食べた姿を装うために…。私の妻の話もそうだった。幼い頃、友達と遊びながら、嫁にいく時になれば郵便配達人に行くべきだが、農夫に行くことになればどうしようと心配したという。我々も日本人のように熱心に働くことになればよいというのが夢だった。

 
◆戦時に釜山で見た夢、まだ鮮明に

韓国戦争(朝鮮戦争)の時期だ。釜山鎮(プサンジン)から海雲台(ヘウンデ)に行く道にある大淵洞(デヨンドン)の教会に過ごしたことがある。その時に夢を見た。誰かに案内されて山の下の貯水池に行った。ぶ厚い氷が張っていた。その人は36年間凍っていた氷が割れるから見てみろと言った。その言葉通り、池の氷が割れ始めた。池の下を見下ろした。黒い蟻の群れのように見える人たちが大勢いたが、一匹も止まることなく忙しく働いていた。その多くの蟻が日本人のような気がした。想像もできない場面だった。その時、隣にいた彼が「もうお前たちもあのようになる」と言って消えた。何の夢だったのか。

その後、20年余り過ぎた。朴正熙(パク・ジョンヒ)政権になった後だった。我々の国民全体が「良い暮らしをしよう」というスローガンの下、熱心に働き始めた。精神的には未熟だったが、国民大衆を仕事場に引き込んだ「セマウル運動」が火のように起きた。国民全体が仕事を愛する姿勢と情熱を抱くようになった。絶対貧困から抜け出して「漢江(ハンガン)の奇跡」を創出する変化を作った。

1981年にソウル大社会学科が発表した国民意識構造調査には「あなたは食べる物があり生活が安定しても働きますか」という項目があった。国民の86%が働くという前向きな反応を見せた。私はその数値を見て涙が出るほどだった。経済的な希望があるという信念を固めた。戦争のつらい経験の贈り物だったのかもしれない。

当時、オーストラリアのボブ・ホーク首相が韓国を訪問した。大きな衝撃を受けたようだ。オーストラリアに戻って自国民に「韓国はいま我々よりも経済水準が低いが、もうすぐ追い抜くことになる。アジアでは日本に次ぐ経済国になるだろう」と絶賛した。サムスン・ヒョンデ・LGグループをはじめとする中堅企業が研修院を持っていた時代だった。会社の幹部が月曜日から土曜日午前まで勤務し、午後には研修院に入って日曜日まで教育を受けた。ホーク首相は「これほど勉強をしながら働く国はない」と称賛を惜しまなかった。オーストラリアでは週末の教育は想像もできなかった時だった。教育手当を受けずに時間を奪われることはあり得ないという考えが常識だった。

今のような労働組合運動はなかった。朴正熙元大統領は、共産国家の労働組合は政権を勝ち取るまではストライキと反政府闘争をするという事実と、政権を握った後には絶対にストライキや政治批判はできないということを知っていたため、労働組合を認めなかった。当時に今のような労働組合のストライキや反政府闘争をしていれば、貧困の克服と経済建設の原動力は不可能だったはずだ。私も国民の一人としてその時代を熱心に生きてきたことを後悔しない。仕事を愛しながら楽しみ、その精神が幸福と人生の価値を高めたからだ。

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