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日本から戻った大東輿地図…「東輿図」情報を追加した最初の事例=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.03.30 14:16
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朝鮮末期の地理学者、金正浩(キム・ジョンホ、1804推定-1866推定)が制作した「大東輿地図」に各種地理情報を加えた新しい地図が韓国に戻ってきた。30日午前10時30分から国立古宮博物館で初めて公開される。

文化財庁と国外所在文化財財団はこの日、目録1帖、地図22帖の計23帖で構成された大東輿地図を日本から回収したと明らかにした。

 
今回の大東輿地図は横20センチ、縦30センチの冊子が複数ある形態だ。全体を東西、南北にそれぞれ分けて表現した帖をすべて広げると横4メートル、縦6.7メートルの大きさの大型地図になる。屏風のように折りたためるようにした全国地図だ。

内容の面では1864年に制作された木版本に加筆し、色を塗り、国内で最初に確認された「東輿図」の地理情報を筆写して追加している。ここで東輿図は金正浩が大東輿地図の底本にしたと見ることができる朝鮮全図だ。朝鮮時代の交通路・軍事施設など地理情報と1万8000余りの地名が載っている。

特に内容面で細部の地名・地図関連情報がなかった大東輿地図の限界を補完したという点で意味がある。例えば白頭山(ペクドゥサン)一帯を描写した第2帖には、1712年に朝鮮と清の国境線を表示するために建てた白頭山定界碑と軍事施設の間の距離が記されている。一般的な大東輿地図の版本にはない内容だ。

文化財庁の関係者は「東輿図の内容を筆写して木版本の大東輿地図の限界を補完した最初の事例と確認される」とし「大東輿地図が普及しながら変容した形態と推定される」と説明した。

文化財庁は1864年に発刊された「木版本」大東輿地図と東輿図が数少ないだけに、今回の地図の文化・学術的価値が大きいと見ている。ただ、地図を今まで誰がどんな目的で所蔵してきたのかはまだ明らかになっていない。

財団の関係者は「諮問の結果、当時の官衙で働いた人、貿易を望む商人が使用したと推定されるという意見があった。大東輿地図に東輿図の情報まで加えたものであるだけに、誰にでも与えるものではなかったはず」と話した。財団は昨年7月、日本の古書店が遺物を所蔵しているという情報を入手した後、資料の検討、専門家の評価などを経て宝くじ基金で購入した。

文化財庁は「朝鮮時代の地理情報研究の範囲を拡張するきっかけになる」とし「朝鮮の科学文化遺産に対する関心と自負心を高める機会になることを望む」と伝えた。

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