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【コラム】側近も救えないのに国を救うのか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.03.21 11:37
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終わりのない政界の争いに国民感情は乾いた畑のように割れた。人が死んでいく。「史上最大の不正」と「検察が殺人者」という論理の間にはいかなる接点もない。さらに死んで終わるのか、それともこのまま国力を破綻させるのか。こんなことは今までなかった。事件の全貌は極めて疑わしく、同時に検察は度が過ぎるという考えにもなる。公衆を買収しようとする政界は塹壕戦を構築した。「最後まで行く」という決意だ。政治家らは連日激しい言動を見せていて痛ましく疲れる。

検察の取り調べにはもともと殺気がある。被疑者であれ、参考人であれ、一度呼ばれた人には悪夢だ。周囲を叩いて締めつければ、平常的な行為も法律違反網に掛かる。被疑者が容疑の痕跡を消しても、削除した記憶を掘り出すのが検事だ。深夜に向かう検察庁の闇に足がふらつく。何よりも人生の塔が崩れる。正直、誠実に生きてきた人の最大の資産である自尊感が萎縮すれば極端な行為がちらつく。法律違反の程度とは関係なく、自身と家族の品格を守る最後の手段に訴えるのだ。

 
まさにこの地点で指導者の品性論が出てくる。故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領はブオンイ岩から飛び降りた。あぜ道時計事件、親戚の不正、側近管理失敗など、最近の事件と比較すると当時の検察は言うまでもなく度が過ぎた。「誰も恨むな、運命だ」。彼は韓国政治に内蔵されたどん底に身を投げることで部下と家族の品位を守った。筆者は当時の悲痛な心情をこのように書いた。「その生命供養の対価として我々は韓国政治を製織する『運命の形式』に目を開いた」。それから14年間、我々はその運命の形式をどのように復碁してきたことで、今度は忠僕の落花を迎えなければいけないのか。

「検察は殺人者」という悪い政治方程式が常数なら、大将の品格も常数だ。大将は常に中心に布陣する。鳴梁(ミョンリャン)海戦で李舜臣(イ・スンシン)は一字陣を後ろに単独で倭船と戦った。海流が変わるのを待てという作戦命令に部下は大将の危険な独戦を息をのんで眺めた。鳴梁が体を動かし始めた。部下が海流に乗って突進した。倭船300隻が破壊された。勝利であれ敗戦であれ責任は大将が担う。

ところが多くの不正容疑に直面した李在明(イ・ジェミョン)の督戦に部下は消えた。法律、斥候、資金、企画、そして行政担当の側近に至るまで。大将船が「潔白の旗」を翻す現実の前で倒れたのだ。故チョン・ヒョンス秘書室長は遺書に「事件ねつ造が恐ろしい」と極限の恐怖を表現した。故人が恐れた事件ねつ造の主体は誰だろうか。行政の責任者は決定を下さない。執行するだけだ。命令の主体が出ていれば持ちこたえていたのではないだろうか。知らぬふりで一貫する大将を知らぬふりで保護する野党は本当に「運命の形式」を復碁したのか。そうでなければ故盧武鉉の死を汚すだけだ。

【コラム】側近も救えないのに国を救うのか=韓国(2)

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