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100歳の徴用被害者「日本には腹が立つが…国家発展ために和解、仕方ない」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.03.21 07:30
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「日本のことを考えると腹立たしいが、もう仕方ない」

韓国政府が日帝徴用被害者賠償を「第三者弁済」方式で推進することにしたことに対して、蔚山(ウルサン)地域の徴用被害者の1人であるアン・ボンサンさん(100)はこのように語った。20日、蔚山で会ったアンさんは「(日本政府の過去の過ちを)思い出すとまだ腹が立つが、大統領が国家発展のためにそこ(日本)と和解の雰囲気を作るということなので、仕方ないのではないか」と話した。

 
1923年生まれのアンさんは強制動員当時の辛かった瞬間をはっきりと覚えている。アンさんは結婚してそれほど経っていない21歳の時、1944年に日本に行った。ある日、村役場から突然来いと言われてついていったのが出発だった。車に乗って蔚山駅に移動した後、汽車に乗って釜山(プサン)に向かった。それから船に乗り換え、半日ぐら経って船から下りてみると、そこは大阪のある造船所だった。造船所には畳部屋がいくつかある宿舎があった。部屋にはアンさんのように韓国から連れてこられた若い作業員数千人が集まっていた。17人が狭い一つの畳部屋を一緒に使っていた。2~3人が組を作って朝から晩まで船を作る仕事に投入された。軍艦を1カ月に一隻、完成させなければならなかった。アンさんは「何より、いつも腹が減っていた」と振り返った。造船所の食事は成人の手のひら一つ分の大きさの木製弁当箱に入って出るサツマイモご飯や豆ご飯、トウモロコシおにぎりだけだった。日当もとても少なかった。日本人から棍棒で叩かれるのも怖かった。

解放が近づくころになると、原子爆弾が投下されるのではないかと感じた。アンさんは「ある日、大阪全域に飛行機が行ったり来たりしてビラをまいていったが、それを拾ってみるとハングルで『爆弾が投下されるので、韓国人は逃げろ』という内容だった」という。アンさんは仲間とトンネルに入って夜を明かした。

このように1年余りの間、苦難に遭いながらも働いたが、1945年解放後はほぼ着の身着のまま祖国に戻った。木船を借りて乗り、福岡・九州などを経て帰国する途中で、ためたお金を船代などですべて使い果たしてしまったためだ。

アンさんの息子は「80年余り前、父が強制動員の被害を受けたが、これに関連していかなる補償も、報勲恩恵も、日本政府からの謝罪も受けられなかったと理解している」と話した。

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    2023.03.21 07:30
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