【グローバルアイ】ある在日の遺言
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.02.10 10:28
今でいえば小学2年の時だ。美術の時間に絵を描いたところ、先生から意外にも褒められたという。彼が描いたのは故郷、秋田県の紅葉が美しい山。在日として差別と貧困で萎縮していた幼い河正雄(ハ・ジョンウン)の心に光が射し始めた。ただ、絵が好きだった。絵の中では差別も寂しさもなかったが、貧困にだけは勝てなかった。3人の弟妹がいた彼に長男という地位は重かった。高校を卒業しながら決心した。「社会が大学だと思えばいい。必死に頑張って最後に社会で卒業証書を受ければいい」。しかし就職も容易でなかった。在日だったからだ。絶望の時間だった。
その彼を天が助けた。26歳の時だ。電子製品を売っていたが、東京オリンピック(1964年)が開かれると飛ぶように商品が売れた。これを元手に不動産業に参入した。運よく開発ブームを迎え、事業は拡大した。ある日、近くに住んでいた画家ホ・フンが訪ねてきた。「絵を売ってほしい」ということだった。風景画「金剛山(クムガンサン)」(1961年)だった。訪れたこともない祖国の風景に心を奪われた。作家が在日という理由で絵の仲介は容易でなかった。これをきっかけに彼は自身と同じ立場にいる作家の絵の世界に目を向け始めた。在日作家の絵を広く伝えたかった。祖国にまともな美術館がないことを知ると、光州(クァンジュ)市立美術館と釜山(プサン)市立美術館などに一つ、二つと寄贈し始め、在日作家の作品は注目され始めた。