【リセットコリア】北朝鮮の無人機挑発と1968年の「1・21事態」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.01.30 13:56
金新朝(キム・シンジョ)など北朝鮮の武装共産軍が1968年1月21日、青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)付近まで浸透した。当時、鍾路(チョンノ)署長だったチェ・ギュシク総警が紫霞門(ジャハムン)付近で阻止していなければ、青瓦台にまで侵入して朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領の身辺が危険になるところだった。55年が経過したが、北朝鮮の無人機が龍山(ヨンサン)大統領室近隣の上空まで浸透したという記事を見てぞっとした。いつまでこのようなことが続くのだろうか。
1968年はベトナム戦争中であり、国際共産党の連帯闘争が行われている時期だった。金日成(キム・イルソン)主席はこれを利用して対南武力闘争を宣言した。4大軍事路線を掲げて「合法・非合法、暴力・非暴力、あらゆる手段を配合した闘争をする」と威嚇した。
共産軍の奇襲浸透に無防備状態だった朴正熙政権は直ちに大統領訓令で合同参謀本部に対スパイ対策本部を設置し、軍と各情報捜査機関を統合・指揮することにした。郷土予備軍制度が始まり、北朝鮮対応報復攻撃のために中央情報部で実尾島(シルミ島)特殊軍を養成したのもこの時期だった。