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【コラム】ピエタになった韓国大統領夫人(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.12.01 14:11
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先日、野党第一党・共に民主党の張耿態(チャン・ギョンテ)議員が大統領夫人のカンボジア慈善病院訪問写真について、照明まで動員して撮影した演出写真だと主張した。大統領室が事実でないと主張すると、カンボジアに人まで送って確認すると言ったが、雰囲気が芳しくないためひとまず退こうという態勢だ。

一方、与党・国民の力は「ポルノ」という表現に怒った。張議員が性的ニュアンスを漂わせる言葉を使って大統領夫人を侮辱したということだ。国民の力側は「貧困ポルノ」という概念が社会的に広く使われる確立された語法という事実を知らなかったようだ。

 
「貧困ポルノ」とは「募金に必要な同情を引こうと視覚的センセーショナリズムに依存する形態」をいう。そのためにモデルになった子どもに襤褸を着せたり、飲み水の色をぼかして濁った水のように見せるなど、さまざまな方法が使われる。

大統領夫人のカンボジアでの写真は「貧困ポルノ」の定義に合わない。同情心を引き出そうと病気の子どもをできるだけ悲惨に見えるように演出したとは言い難いからだ。それはこの国の大統領夫人なら誰でも一度くらいは撮影するような類型の写真に属する。

張耿態議員が不必要なことをしたということだが、その背景には、いまや民主党の人たちとその支持者の体質として固まった嫌悪政治の戦術がある。結局、大衆の間に大統領夫人に対する嫌悪の感情を広めたくて、どこかで拾ってきた知識で事案にとんでもないレッテルを貼ったのだ。

この論争の原因は目的に合わない過度な美学性にある。実際、問題のイメージは、大統領夫人の同情を込めた報道写真というよりも、雑誌に載せられる芸能人の画報のように感じられる。それで照明を設置して人為的に演出した写真という誤解が生じたのだ。

草創期の写真は絵画的だった。絵画は芸術、写真は技術。その劣等意識から写真が絵画を模倣しようとしたからだ。初期の写真家はほとんどが元画家だった。したがって写真を撮る時にも自分たちが知る美学、すなわち絵画の美学を適用するしかなかった。しかし写真術が大衆化し、写真も自身が絵画ではないとの自意識を持つようになった。写真は絵画と違う。絵画が虚構なら、写真は事実だ。絵画の目的が美しさにあるなら、写真の目的は真実にある。写真は絵とは違い事実の記録、事件の証拠だ。

したがって専門作家が演出して撮った完ぺきな写真よりは、一般の人が撮った、構図が良くなく(bad crop)焦点が合っていない写真がむしろ写真としては真実味がある。写真で演出をダブー視する慣行はこの20世紀の伝統から始まる。「演出されたものは現実でなく虚構だ」。

ところが最近、絵画的な写真がまた戻ってきた。これは写真のデジタル化と関係があるのだろう。過去に写真は「その時そこに被写体があった」という現場存在証明として通じたが、デジタル時代には写真の中の被写体が本当にその時にそこにあったことを保証しない。

【コラム】ピエタになった韓国大統領夫人(2)

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    2022.12.01 14:11
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    金建希大統領夫人が12日(現地時間)、カンボジアのプノンペンで先天性心臓疾患を患っている14歳の子どもの家を訪れ、子どもを抱いている。[写真 大統領室]
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