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【時視各角】梨泰院がセウォル号にならないためには

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.11.04 13:18
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1001日目の朝を迎える七面鳥は幸せだった。自身に向かう飼い主の手には当然エサがあるのだから。ところがその手は七面鳥の首を握りしめた。七面鳥はその日が収穫感謝祭ということを知らなかった。幸せだった1000日は1001日目の幸せを保障しない。投資専門家ナシーム・ニコラス・タレブの著書『ブラックスワン』に出てくる寓話だ。

投資の世界に限られたことではない。梨泰院(イテウォン)惨事は七面鳥の1001日目の日だった。誰も予想できない「ブラックスワン」だった。確率分布の極端の中の極端にあった可能性だった。「そうなると思っていた」という言葉は事後確証バイアスにすぎない。

 
新型コロナ以前の3年間(2017-19年)、ハロウィーン直前の土曜日の梨泰院駅下車客数は6万人程度だった。今年は8万人だった。毎年37-90人だった警察投入人員は今年137人だった。人波は30%増えたが、警察人員は50%増えた。それでも事故を防ぐことができなかった。特定の数値を超えれば物理現象が変わる「臨界値」を考えられなかったのだ。ソウル警察庁112番状況室は、緊急な通報を連続で受けても状況を把握しようとしなかった。「いつものように」龍山(ヨンサン)警察署に伝え、警察署は一線の派出所に引き継いだ。やはり極端の可能性を予想できなかったからだ。

梨泰院惨事は尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の不運であることは間違いない。ある人は「文在寅(ムン・ジェイン)政権だったら状況は違っていたはず」と信じようとするが、根拠はない。国家行政システムの力量と慣行は数カ月で変わらない。しかし政府が自らこの不運を嘆いて無限責任を否認する瞬間、問題は変わる。外在していたリスクが政権内部に入り込む。

「警察をあらかじめ配置していても解決しなかった」という李祥敏(イ・サンミン)行安部長官の発言にはこの事件を不運と見る視点が根本にある。その考えを表すと、世論の矢が政府に向かった。圧力は梨泰院の悲劇の路地だけにかかるのではない。非常な事態を経験した共同体の怒りは排出口を探す。首相の余計な冗談、長官の責任回避はその凄じい圧力に触れた。

民主党は政争自制モードから攻勢に転じた。指導部のある初当選議員は「半歩遅れて進めてこそ逆効果を最小化できる」と話したという。政治が世論戦であることを正確に看破している。なら与党の対応は一つだ。「半歩早く」行動することだ。李祥敏長官と尹熙根(ユン・ヒグン)警察庁長官の問責が避けられなければ、それをためらってはいけない。「事件の収拾が先」は安易な判断だ。収拾自体に問責が含まれなければいけない。

謝罪も同じだ。セウォル号当時、朴槿恵(パク・クネ)大統領の公式謝罪は事故発生から14日目に国務会議で出てきた。世論は収まらず、20日後に国民向け談話をまた出すことになった。涙を流して頭を下げたが、世論はすでに元に戻らない状況だった。龍山大統領室は「尹大統領はすでに追悼式場などで何度か遺憾の意を明らかにした」と伝えたが、それでは足りない。公式的かつ真摯な謝罪談話が速かに出てこなければいけない。その謝罪には「申し訳ない」という言葉だけでなく「私のせい」「こうして改善する」が入るのがよい。最初の謝罪で「私のせい」よりも「積弊清算」を強調して世論の反発を自ら招いた朴元大統領の愚を繰り返してはいけない。

「惨事の政治化」は我々の社会ですでに慣れてしまった風景だ。フェイクニュース、非論理的な因果主張、激しいスローガンがすでに始まった。しかしこれに対する下手な対応は「政治の惨事化」を招きかねない。悲劇を政争に利用するのも問題だが、悲劇の意味を縮小しようとする態度も逆風を呼ぶ。行政安全部が「惨事、犠牲者、被害者」の代わりに「事故、死亡者、負傷者」と表記するよう公文書を各市・道に送った。余計なことだ。真摯かつ慎重な姿勢で中道層の共感を得ることが尹錫悦政権の宿題だ。失敗すれば民心の手が政権の首を絞めることになるかもしれない。

イ・ヒョンサン/中央日報コラムニスト

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    【時視各角】梨泰院がセウォル号にならないためには

    2022.11.04 13:18
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    尹錫悦大統領が1日、ソウル龍山区梨泰院駅1番出口前に用意された梨泰院惨事犠牲者追慕空間を訪ね、国務委員らとともに献花を終えた後、メモを見ている。[写真 大統領実写記者団]
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