【噴水台】戦術核=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.10.12 15:26
高麗末期の1380年、全羅道鎮浦(ジンポ)近隣で国の命運をかけた戦闘があった。鎮浦大捷だ。崔茂宣(チェ・ムソン)将軍は戦艦100隻を動員し、約500隻にのぼる倭寇の艦隊を撃破した。初めて使用した火砲が勝利に決定的な役割をした。刀剣や弓が当時広く使われていた戦術武器(tactical weapon)だったなら、火薬は戦争の流れを変えるゲームチェンジャーであり戦略武器(strategic weapon)だったということだ。
中国は火薬の重要材料の煙硝(硝酸カリウム)製造法を国家機密にして輸出も制限した。崔茂宣将軍が土から硝酸カリウムを得る「取土法」を元国を通じて苦労して導入したが、生産性が落ちるという問題があった。その後、明国が改善された製造法を確保したが、これを朝鮮には伝えなかった。火薬を戦略物資として扱い、技術優位を守るという意図だった。このため朝鮮では常に火薬が不足していた。
現代の代表的な戦略武器は核兵器だ。便宜上「戦術核」と「戦略核」に区分する。威力が2つを分ける。戦略核は都市一つをすべて破壊するほど威力が強い。第3次世界大戦勃発につながる可能性があり、軍事専門家らは「使用できない武器」(unusable weapon)とも呼ぶ。半面、戦術核はそれに比べて威力が弱いという理由で「戦術武器」という修飾語がついた。