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【中央時評】「韓国の本当の問題は政治分裂」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.09.22 11:29
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金薫(キム・フン)の小説『ハルビン』の「後記」には伊藤博文狙撃後の安重根(アン・ジュングン)の家族と一族が経験した迫害と屈辱、離散の話が別途記述されている。一部を書き移す。

夫人の金亜麗(キム・アリョ)は安重根が処刑された翌年に長男が死ぬと上海に行った。光復(解放)後も帰国せず上海で死んだが関連記録はない。満州北部で独立運動をした弟の安定根(アン・ジョングン)も亡命先の上海で死去した。2番目の弟の安恭根(アン・ゴングン)は1939年に重慶で行方がわからなくなった。いとこの安明根(アン・ミョングン)は武装独立闘争をして検挙され投獄の苦しみを体験し、1927年吉林省で死去した。ウラジオストクに移住した母の趙瑪利亞(チョ・マリア)は上海で死去した。

 
安重根の二男の俊生(ジュンセン)と長女の賢生(ヒョンセン)は日帝が設けた「博文寺和解劇」に動員される。総督府の役人たちと伊藤博文を祀った博文寺を参拝して焼香し、伊藤の二男の伊藤文吉と会い「謝罪しにきた」と話す。この場面はメディアに特筆大書された。

安重根一族の屈辱と絶滅は大韓帝国皇族の不運な最後と似ている。日本に人質に取られて皇族になり陸軍中将の階級章を付けた最後の皇太子英親王(ヨンチンワン)も、解放を迎えたがついに適応できず日本に戻って息を引き取った最後の皇太孫の李玖(イ・グ)も不運な時代の犠牲という点では変わるところがない。

100余年前、韓国と日本は同じように押し寄せる西欧列強のえじきになる似たような境遇だった。しかし日本は足速に近代化に乗り、そうでない韓国は植民地になった。運命を分けたのは、政治の水準と質だ。国が危機にさらされた時どのように対応したかを研究したジャレド・ダイアモンド教授は『危機と人類』で、下級侍が主導した明治維新を「外敵からの脅威によって発生した国家的危機から他の国を手本とすることに活用した成功事例」と評価した。明治維新を天皇を頂点に上から一糸不乱に垂直執行された官営改革ぐらいと考えがちだが実状は違う。鎖国対開港、親幕府対反幕府の勢力間の内戦と特権を剥奪された侍の暴動、農民反乱など三重、四重の対立と対決が絡まり数年間混乱状態が続いた。しかしダイアモンド教授の指摘通り、明治維新を導いた指導者は「現在の反対者だけでなく潜在的反対者まで買収したり包容して受け入れる老練な手並みを発揮」しながら内戦を収拾し強国を打ち立てた。統合を引き出した政治力にカギがあった。大義のために小さな違いを留保できる節制力は危機を回避しない大胆さと強固な愛国心から出るのではないかと考えてみる。

【中央時評】「韓国の本当の問題は政治分裂」(2)

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