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【時視各角】「三十年痛」の韓中関係

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.23 15:10
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30歳になるというのは怖い。ときめく青春の終焉だからではない。両足でしっかりと立つべき年齢(三十而立)だが、頭と心に「何を満たして生きているのか何も探せない」自分自身への恐れだ。派手だった、あるいは何も知らずに幸せだった青春の終わりにぶつかる不安と恐れを歌ったキム・グァンソクの曲(「三十頃に」)の歌詞のように、24日に修交30年を迎える韓中関係も「三十痛」の時点に来ているのではないかと思う。各種世論調査で「中国」は日本や北朝鮮よりも「嫌いな国」という結果が出てきた。

朴槿恵(パク・クネ)前大統領が天安門閲兵式(軍事パレード)に出席して習近平国家主席に会った後、「韓半島(朝鮮半島)統一問題に関する(韓中間)議論が早期に始まるだろう」と述べたのが7年前のことだ。韓半島統一議論の約束が事実だったなら大統領としては口にしてはならない秘密の漏洩だったが、実際は希望を込めた一方的な期待にすぎなかった。習主席の儀礼的な外交修辞が期待を高めたのかもしれない。

 
振り返ってみると、韓半島統一に対する中国の役割に期待をかけるのは盧泰愚(ノ・テウ)元大統領以来の一貫した哲学だ。盧元大統領は韓中修交と訪中を終えた後に開いた北方政策報告会議で「我々はすでに民族統一の過程に進入したと言うことができる。私は今世紀中に少なくとも南北連合が実現すると確信する」と述べた。「低姿勢外交」という批判の中でも中国に近づこうとした文在寅(ムン・ジェイン)前大統領の言動は引用するまでもないほど記憶に新しい。北朝鮮非核化、さらには南北統一に中国の役割が重要だという事実は今でも変わらない。しかし過去30年間、中国が我々の期待に応じてきたかは別の問題だ。もう希望を込めた期待を捨てて冷静に考える必要がある。果たして中国は韓半島統一を望むのか、それとも現状維持を望むのかがその最初の質問だ。中国が統一を望むとすれば、中国が描く統一と韓国が望む統一は何が同じで何が違うのかも確かめるべきであり、望まないのなら、どう対処すべきかを考えなければいけない。そのような判断に基づいて精巧な対中戦略を立てる必要がある。

過去30年間に享受した韓中関係の良い時期が過ぎたという言葉は、特に経済分野であてはまる評価だろう。超格差どころか、韓国が比較優位の分野も今では半導体を除いてほとんどないといっても過言でない。5月に対中貿易収支が史上初めて赤字に転換したのは決して偶然でない。ヒョンデ(現代自動車)の市場シェアは1%まで落ちた。サムスンの携帯電話が同じ状況になったのは5年以上も前のことだ。絶対優位と信じていた韓国産化粧品までも厳しい。「THAAD(高硬度防衛ミサイル)報復」を言い訳にする必要もなく、純粋な経済論理で考えても中国はもう韓国企業にとって容易なところではない。韓国には最も容易な選択だった安米経中(安保は米国、経済は中国)もすでに有効期限が過ぎたようだ。

振り返ると、30年前の韓国の戦略的選択は正しかった。冷戦の最前線を守っていた韓国は北方外交で初めて活動舞台を全地球に広げ、グローバル化の潮流に乗ることができたし、韓中修交でその有終の美を飾った。中国という市場を通して創出した経済的利益がなかったとすれば、韓国の先進国入りは不可能だったか、はるかに遅れていたかもしれない。しかし30年という時間は多くのことを変えた。韓国が30年前の韓国ではないように、今の中国は1992年の修交交渉テーブルで対面した中国ではない。過去30年間の韓中関係を支えてきた認識では、未来30年を継続することができない。中国は我々にどんな存在あり、どんな関係を結ぶべきなのか深く悩んで省察する必要がある。もしかすると我々は過去30年間の外面の輝かしい成果に目を奪われ、内面の根源的質問を軽視したり留保してきたのかもしれない。

イェ・ヨンジュン/論説委員

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