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2000人を率いて抗日闘争「朝鮮ジャンヌ・ダルク」…死後73年目に有功者に(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.15 13:42
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社会主義系列の独立活動家だった女性抗日独立活動家、金命時(キム・ミョンシ)将軍(1907-1949)が死後73年目に独立有功者と認められた。国家報勲処は12日、第77周年光復節を迎えて独立活動家303人を独立有功者として褒賞し、金命時将軍に「建国勲章愛国章」を追叙したと14日、明らかにした。

◆「朝鮮のジャンヌ・ダルク」 2000人率いて抗日武装闘争

 
「部下2000人を率いて抗日戦で活動し武勲を立てた沿岸独立同盟(朝鮮独立同盟)の女将軍・金命時、数日前に凱旋帰国」。

1946年12月23日付の東亜日報の1面に掲載された記事の見出しだ。この記事で金将軍は「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と表現された。解放後、他のメディアも「女将軍」として金将軍の抗日闘争を伝えた。

過去の慶尚南道馬山(マサン、現昌原)で生まれた将軍は18歳だった1925年に加入した高麗共産青年会で留学生に選抜され、ソ連モスクワ東方勤労者共産大学で勉強した。この大学はコミンテルン(共産党国際組織)傘下の共産主義革命家養成機関だった。

金将軍は留学から1年余り経過した1927年、中国上海に派遣され、中国共産党上海韓人支部で洪南杓(ホン・ナムピョ)、チョ奉岩(チョ・ボンアム)らと共に抗日運動をした。日帝の満州侵略が迫った1930年には武装隊と共にハルビン日本領事館を攻撃した。

その後、上海に戻って秘密機関紙「コミュニスト」の制作など朝鮮共産党再建運動を始めた。そして1932年に国内に潜入し、「コミュニスト」「太平洋労働組合」など秘密機関紙を印刷・配布し、日本の警察に逮捕された。チョ奉岩らと「朝鮮共産党再建事件」の主謀者とみなされ、懲役6年が言い渡された。予審期間1年を含めて新義州(シンウィジュ)刑務所で7年間にわたり収監された。

金将軍は1939年に満期出所した後、中国に渡って中国共産党八路軍に入隊して戦い、武亭将軍の連絡を受けて朝鮮義勇軍に合流した。ここで華北地帯女性部隊の指揮官を引き受け、戦闘と宣伝戦をし、解放前まで抗日武装闘争をした。この時「女将軍」称号を受けた。

金命時将軍は解放後、国内で信託統治反対活動をした。金将軍は国家保安法違反容疑で逮捕され、1949年10月に富平(プピョン)警察署留置場で生涯を終えた。当時、政府は金将軍が極端な選択をしたと明らかにした。

2000人を率いて抗日闘争「朝鮮ジャンヌ・ダルク」…死後73年目に有功者に(2)

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    2000人を率いて抗日闘争「朝鮮ジャンヌ・ダルク」…死後73年目に有功者に(1)

    2022.08.15 13:42
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    1933年9月の朝鮮共産党再建事件で裁判を受けた当時、新聞に掲載された金命時(キム・ミョンシ)将軍の姿。 [写真=開かれた社会希望連帯]
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