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【韓半島平和ウォッチ】今年の光復節に日本を包容する歴史ビジョンを提示しよう(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.02 09:50
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◆未来の世代に荷物を残すべきでない

解放以降、グローバル中枢国の地位を確保していく過程で、植民支配の遺産を清算する努力も並行された。しかし我々は日帝の支配が残した精神的トラウマから抜け出せなかった。依然として1945年以前の日本とその後の日本を同一視し、親日と愛国の二分法にとらわれ、我々の目の前の日本に不信感を抱いて敵対視する精神状況にとどまっている。ここから抜け出した時、完全な解放が成就するだろう。それを我々は今できなければいけない。我々の未来の世代にこれ以上の荷物を残してはいけない。

今回の光復節の祝辞で尹大統領が第2の解放を宣言することを望む。日本を包容する立場で歴史問題に接近するという哲学と原則を宣言することを望む。包容の哲学に立脚して大法院(最高裁)判決の「精神」を実現すると宣言することを望む。

大法院の判決の精神を実現する道は3つある。1つ目は被害者の傷を我々が自ら治癒すること、2つ目は国際法を遵守する節制の美徳を発揮すること、3つ目は国際規範を先導する進取的な役割を遂行することだ。この3つは我々が自らできることであり、その効果として日本の呼応を引き出すことが可能で、その結果、我々は品格のある国に成熟するだろう。

立法・司法・行政の三権は大韓民国という国家と国民のために存在する。今のこの局面で行政府は被害国民と意思疎通し、痛みを治癒し、立法府は代位弁済方式を通して被害国民の望みを成就し、司法府は現金化猶予を通じて被害国民の負担を減らさなければいけない。これが真の被害者中心主義であり、国民統合と歴史和解の道だと考える。

◆6日に新しく開かれる光化門広場

朝鮮建国後、太祖4年に景福宮(キョンボックン)が創建された。創建を主導した鄭道伝(チョン・ドジョン)が建物と門の名称をつけながら南側の門を正門とした。その後、世宗8年に集賢殿で新たに建てた光化門が今日にいたる。世宗と臣下はどんな思いを抱いて光化という名をつけたのだろうか。

世宗8年ごろは中国からの元・明交替と重なって展開された麗末鮮初の戦争と混乱の時期が終わり、東アジア地域に平和の時代が到来した時期だった。世宗と臣下は今後広がる朝鮮の太平聖代を光化と名づけて宮城の南門に高々と掲げた。

儒教の政治哲学が込められた『中庸』で理想的な政治が実現される姿を「天地化育」という。天下のすべての万物がそれぞれの特性によって豊かに生長する世の中だ。光化とは燦爛たる化育の世界を意味する。

世宗大王が見せた光り輝く朝鮮は19世紀になって闇の道に入った。光を取り戻すための至難の過程で分断・戦争・独裁があり、産業化と民主化を経て今はもうグローバル中枢国の地位を確保した。光復の課業は達成した。また闇に退行する理由はない。回復したその光を輝かせて我々の後世に伝えることが光化の課業だ。

数日後の8月6日には光化門広場が新しく開かれる。今年の光復節には、光復という痛みの記憶を反すうしながら、同時に光化という歓喜の未来を目指す日になればよい。

朴鴻圭(パク・ホンギュ)/高麗大政治外交学科教授 【韓半島平和ウォッチ】今年の光復節に日本を包容する歴史ビジョンを提示しよう(1)

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