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【ナウ・イン・ジャパン】「広島・長崎を最後の被爆地に」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.07.18 11:17
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安倍晋三元首相の死去以降、日本はどこへ向かうのだろうか。「安倍の宿願」だった憲法改正の動きが本格化し、防衛費を増額して「戦争ができる日本」に進むだろうという懸念が出ている。だが、軍国主義の悲劇を再確認して平和を守らなければならないという声も大きい。第2次世界大戦末、米国の原子爆弾が投下された広島と長崎がその中心にある。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナに対する核攻撃を暗示した時、日本の原爆被害者は批判声明を出した。米国核兵器の日本配備を検討しなければならないという安倍元首相の主張に最も激しく反対した場所も広島と長崎だった。

今年8月に原爆投下77周年を迎えて今月14~15日に会った原爆被害者は「ウクライナ事態を見て不安で眠れない」とし「地獄のような経験をその誰も再び受けることがあってはならない」と訴えた。

◆「太陽が爆発したのかと思った」

1945年8月6日午前8時15分、広島上空570メートルで人類初の原子爆弾が爆発した。途方もない爆発音と共に空は夜のように真っ暗になり、人口35万人都市で14万人が命を失った。当時中学生だった梶本淑子さんは原爆投下地から2.5キロメートル離れた学校にいた。「太陽が爆発したのかと思うくらいの爆音がし、倒壊した建物の下敷きになって気絶していました。『助けて』『助けてください』という友達の悲鳴が今でも耳に残っています」

梶本さんは広島で活動中の「被爆経験伝承者」32人の一人だ。新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)以前は1年に130~150回、日本はもちろん海外でもその経験を伝えてきた。ウクライナ事態で「日本も核を持つべきだ」という主張まで出てきて「怒りを覚えた」と話した。「政治家は原爆の被害を知らないからそのような話をするのだ」としながら「平和のための戦争はない。戦争を防ぐために核を持たなければならないということは話にもならない」と反論した。

広島平和記念資料館と平和記念公園内の「原爆ドーム」はパンデミック以前は年間170万人が訪ねる場所だった。原爆現場で灰になってしまった人々、死体を累々と積んで火葬する場面、人間の跡が影として残ってしまった階段などを見せて核兵器の危険性を後世に伝えている。

14日、資料館には修学旅行に来た学生でごった返していた。その日の残酷な場面に驚く学生もいた。「日本人なら原爆の被害を知っているが、その実状を直接見たのと見ないのとではとても違います」。豆谷利宏副館長の説明だ。

豆谷副館長は後世に核の惨状を伝えることが「広島の使命」だと感じている。だが、被害者が年々亡くなっていて伝承状況は困難になるばかりだ。来年5月に広島で開かれる主要7カ国(G7)首脳会議にかける期待が大きい。豆谷副館長は「オバマ元米国大統領が2016年広島に立ち寄った後、外国人観覧客が大幅に増えた」とし「G7会議が世界に戦争の危険性を伝える契機になれば」と話した。

◆徐々に消えていく戦争の記憶

長崎市では「長崎を最後の被爆地に」と書かれたプラカードを各地で目にすることができる。戦争の惨状を忘れないでおこうと、学生対象の平和教育が活発に行われている。15日、長崎投下地からわずか500メートルの距離にある城山小学校を訪れた。1945年8月9日当時、在学生約1500人のうち1400人が死亡したところだ。

同校の児童は平和教育を年間70~80時間受ける。低学年の時は友達と仲良くすることや平和の概念に対して学び、高学年になると世界情勢や戦争、長崎の原爆被害に対して学習する。15日には6年生の児童による発表会が開かれた。「平和とは何ですか」と尋ねる教師の質問にある児童が手を上げてこう答えた。「不安を感じないで、平凡な一日を送ることができることです」。

武末弘之校長は「長崎の子どもたちが平和を伝えるリーダーに育っていってほしい」とし「世界のさまざまな学校と交流して平和教育の重要性を伝えていく」とした。

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    2022.07.18 11:17
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    広島平和記念公園内にある「原爆ドーム」。1945年8月6日の原子爆弾投下で被害を受けた建物を補修せずに反核教育の場所として使用している。[写真 イ・ヨンヒ特派員]
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