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【コラム】孤軍奮闘する尹大統領周辺で起きていること

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.07.11 11:05
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政治はスポーツのルールから学ばなくてはいけないことがある。サッカーのオフサイドは主審ではなく副審が判定して旗を掲げる。ボールを扱う選手に付いて回る主審のほうが序列は上だ。だが、タッチラインの外にいる副審がFWとDF、ボールの位置や構図を正確に把握できるため、主審は副審の判断に従う。

何のことを話しているのか。誰でも己が持つことができない幅広い観点、視点を持つ人の助けを借りてこそ完全になるという事実だ。そのためサッカーにしろ野球にしろ、一人だけでは判定を任せないのだ。そのような結果を選手は承服する。自分とは異なる視点の発説を邪魔し、やっと到達した合意に従わない政界よりもはるかに合理的で紳士的ではないか。

 
民主政治で与と野、保守と進歩は何か。それぞれ異なる階層を代弁したり重視したりする価値が違い、自然に分化する信念集団だ。そのため一つの事案を巡っても成長と分配、自由と平等の選好程度に従って見方も違う。いや、違わなくてはならない。そうしてこそバランスを通じて極端主義の危険を避けることができる。多元的価値が共存する開かれた社会になる道だ。

政党内でも同じだ。主流と非主流が共存すればどのような変化にも柔軟に対応することができる。進化生物学の常識でもある。卓越した一つの種の生物だけがいるなら、たった一回のウイルス攻撃でも絶滅してしまう。だが劣等な種だったとしても、一緒に混ざっていれば一部が生き残ってエコシステムを維持することができる。一つの旗、一つのスローガンだけを認める政党は同種交配の致命的危険に目を閉じた邪教集団だ。

朴正熙(パク・チョンヒ)・全斗煥(チョン・ドゥファン)の独裁を終わらせて登場した盧泰愚(ノ・テウ)・金泳三(キム・ヨンサム)・金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の時代は民主主義の成長期だった。米社会学者バリントン・ムーアの「ブルジョアなくして民主主義はない(No Bourgeois,No Democracy)」は経験法則に合致している。しかし、その後韓国政界で起きている事態を見ると憂鬱だ。

文在寅(ムン・ジェイン)勢力は秘線実勢(陰の実力者)実力者の国政壟断を理由に朴槿恵(パク・クネ)政権を追放した。だが、チョ・グク事態で公正と常識を否定した「ネロナムブル(ダブルスタンダード)」政権であることが明らかになった。中央地剣長、検察総長に高速昇進させて積弊清算の先鋒に立てた強骨検事、尹錫悦(ユン・ソクヨル)に政権を譲った。考えが違うからと野党を悪魔化して統合・協力政治を拒否した文政権の業報だった。

尹政権は違わなければならない。大統領は大統領らしく(presidential)なくてはならない。野党、非主流を認めて統合と協力政治に出なければならない。そうしてこそ文政権の失敗を繰り返さない。しかし巨大野党と協力政治しようとする努力の跡はまだ見られない。

「尹核関(尹氏の核心関係者)」と李俊錫(イ・ジュンソク)与党「国民の力」代表の間のすさまじい戦争はまた、何か。表面的には9年前の性接待疑惑宥和のために教唆した容疑が争点だ。実際には考えの違いが問題であろう。李俊錫代表は光州(クァンジュ)民主化運動を歪曲(わいきょく)をした党員に代わって謝罪し、反発を食らった前歴がある。民主主義、公正な競争を重視して絶えずイシューを作り出す30代の若い政治家だ。伝統的な保守野党とは違う。この内戦の本質は2024年総選挙公認権を握るための権力闘争だ。

今は経済と安保の複合危機局面だ。野党ともスクラムを組むべきなのに内輪もめだ。生活苦で苦痛を受ける国民が哀れとも思わないのか。

幸い、尹大統領は経験不足と与党少数野党多数、政治的内戦にもかかわらず、方向をよく捕まえて進んでいる。帝王的大統領の象徴である青瓦台時代に弔鐘を鳴らし、、韓米同盟の強化、韓日関係の正常化、原発の復旧に着手した。企業の活力を高める規制改革、公企業改革、労働・年金・教育改革に対する意志も強い。

ぶら下がり会見も参謀の後ろに隠れていた前任者とは確かに異なる疎通方式だ。長官業務報告も単独面談形式で受けるというから熱い終末討論が期待される。政策執行に弾みがつくだろう。前任者とは違いファンダムがないため陣営政治から抜け出す可能性も高い。過去に借りがなく、旧態政治に足を取られない尹錫悦だけの誠意が認められれば国政運営は巡航するだろう。

問題は野党と党内反対者などに対する政権核心勢力の敵対的態度にある。朴正熙・全斗煥独裁を耐え抜いたファン・ジウ詩人は「愛する人よ/来ない君を待って/ついに私は君のもとに行く/とても遠いところから私は君のもとに行き/とても永い歳月を尽くして君は今来ている」(『君を待つ間』 1986年)と詠った。今は誰でも空気のように息づいている民主主義は長い間にわたって切実な「待つ」対象であり、目覚めている良心の犠牲のうえについに私たちのものになった。

ところが今日の醜い政治は一瞬にして消滅する一握りの権力でも持とうとするために恥を忘れた。単に考えが違うという理由で互いの虚像を殺害する。初めて迎えるパーフェクトストームの中で起きている政権の序盤期の内戦は名分も廉恥もない。韓国民主主義がゴルゴタの丘を再び上がっているのだろうか。やっとのことで迎えた民主主義に対する礼儀ではない。贖罪の祭儀が必要だ。

李夏慶(イ・ハギョン)/主筆・副社長

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